表紙
春風とバイオリン

 40


 近くの店に入るまで、暁斗はいつもと違い、妙に無口だった。
 フィレオを食べながらも、やはり彼の口は重かった。 ときどきパッと顔を上げて、何か話そうとするのだが、決断しきれずに止めてしまう。 気付かないふりで冷えたシェイクを飲むまき子が、次第に落ち着かなくなるほど奇妙な感じだ。
 沈黙は五分以上続いた。 暁斗は口を尖らせ、眉間に小さな皺まで寄せている。 緊張しているときの癖なのだが、彼を知らない人間から見たら、どうしようもなく不機嫌でブーたれているのではないかという雰囲気に思えたかもしれない。
 隣りのテーブルに、十代半ばの女の子が二人座っていた。 その一人がチラチラと暁斗に視線を送っているのに、まき子はさっきから気付いていた。
 やがて、我慢しきれなくなったらしく、その子は立ち上がった。 サマーニットを着た連れが、彼女の袖口を掴んで引きとめようとしたが、間に合わなかった。
 女の子は、すうっと暁斗の横に寄って、緊張で上ずった声を出した。
「あのう、塚本さんじゃないですか?」

 食べかけのバーガーを持ったまま、暁斗は物憂げに顔を動かし、まっすぐ少女を眺めた。
 そして、一言だけ答えた。
「ちがう」
「あ」
 少女は肩をすくめるようにしてしなを作り、なおも付け足した。
「すいませーん。 先輩のお兄さんなんですけどー、とっても似てて」
 そして、ニコッと笑った。 もともと目立つ子だが、その笑い方でいっそう魅力が増すのを充分承知している態度だった。
 暁斗は瞬きせずに少女に目を置いていた。 見とれているのだろうか。 可愛いもの、確かに、とまき子が思ったちょうどそのとき、彼は棒読みに近い口調で、こう言った。
「今どうやってプロポーズしようかとガチで悩んでるんだ。 邪魔しないでくれる?」

 声が低かったから、店にいるほとんどの客には聞こえなかったはずだった。 しかし、隣りのテーブルまでは確かに届いた。
 棒立ちになった少女を見るに見かねて、連れの子が中腰になって引き戻した。
「だから止めとけって……」
「行こ」
「まだ食べてないよ」
「テイクアウトにしなっ」
 小声で言い争いながら、ナンパに失敗した少女は、仲間を連れてそそくさと行ってしまった。





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