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その晩は、まき子が強く誘って、伴奏者の高山勇気〔たかやま ゆうき〕も夕食に参加した。
高山は、控えめで静かな若者だった。 十日ほど前から暁斗の練習に参加しているのだが、おとなしすぎて、いるのかいないのかわからない。 ただ、地下の練習室からバイオリンだけでなくピアノの伴奏も聞こえてくるため、辛うじて、ああ、もう一人来てるんだなとわかる程度だった。
暁斗とは音大の同期で、ピアノ科では二番目に優秀だという高山にも、父に会ってほしいと、まき子は願った。 話して気に入れば、数麿は高山の売り出しにも手を貸してくれるかもしれないから。
「昔から一人で弾くより連弾が好きだったんですよ、彼」
そう暁斗が数麿に紹介すると、高山は頬をほんのり赤らめ、緊張した様子で自己紹介した。
「高山勇気です。 先週から地下のスタジオで暁斗と合わせてます」
「伴奏者は大事だ。 ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウという大歌手がいてね、リサイタルの時には必ずジェラルド・ムーアというピアニストを連れていて、呼吸がぴったりなんだ」
和麿は穏やかな笑顔を浮かべて、もじもじしている高山を見やった。 どうやら好感を持ったらしい。 その様子を眺めて、まき子もなごやかな気分になった。
その晩は博史が来なかったので、食事は波風なく進んだ。 暁斗は相変わらずほとんどしゃべらなかったが、代わりに意外にも、高山がはにかみながらポツポツと会話に加わった。
みんな満足してお開きとなった。 食後のシェリー酒で目の縁をほんのり赤くした和麿は、すっかり気前がよくなってしまって、青年二人にそれぞれ上等なシャンパンの大瓶をプレゼントした。
「では、本選で実力を存分に発揮してくれたまえ。 これは、いわば前祝だ」
「ありがとうございます」
高山はかしこまって答えたが、暁斗はニコリともせずに軽く頭を下げただけだった。
帰りがけ、送りに玄関まで出たまき子に、硬い表情のまま、暁斗は言った。
「ありがとう、いろいろ。 俺、もう来ないけど、本選の結果は電話で知らせるよ」
まき子の笑顔が消えた。 にわかファン代表として、コンクールを見に行こうと思っていたのに。
でも、来られると気が散って嫌なのかもしれない、と思い直して、まき子は再び微笑した。
「それでは、ごきげんよう。 勝利の女神が微笑んでくれますように」
不意に、まったく突然、暁斗の顔がくしゃくしゃになった。
「まき子さんなんだよ、俺の勝利の女神は」
そして、とっさに何が起こったかわからないうちに、まき子の瞼に火のような息が当たった。
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