表紙
春風とバイオリン

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 姫百合? 草原でオレンジ色の星のようにきらめく花を思い浮かべて、まき子はひそかに嬉しかった。
 それにしても、粕谷のごつい口から出たとは思えないこのセリフ。 案外ロマンティストなのかもしれない。 意外な収穫のあった夜だった。


 翌週からは、同じような日々の繰り返しだった。 暁斗はバイトの合間を縫って、屋敷の地下室に入りびたりだったし、博史は博史で三日にあけず訪れるようになった。
 博史がなんでこれほど暁斗を意識しているのか、まき子にはよくわからなかった。 暁斗は、取りつかれたようにバイオリンを弾いているだけで、他のことはまるで眼中にない様子だ。 弦を押える指先が痛むんじゃないだろうかと思うほどの猛特訓だった。
 田中さんは私なんか練習場の管理のおばさんぐらいにしか思っていないでしょうに、と、まき子は博史に言いたかった。 でも、博史が暁斗のことを話題にするのも嫌がるので、何も言えないままでいた。

 こんな微妙な日々が、ニ週間と五日続いた。
そして、いよいよ明後日が総合音楽協会の全国コンクール第ニ予選日となった。

 暁斗は前のコンクールで三位以内に入賞したため、一次予選は免除になっていた。 それでも会場のTホールへ聞きに行き、音響効果や雰囲気を確かめてきた。
 その足で染小路家に来た暁斗は、やはり普段より興奮していた。 そして、六時半にいつも通り車で帰ってきたまき子を玄関先で捕まえて頼んだ。
「あのさ、俺が弾くところビデオで撮ってくれないかな。 どんな印象を審査員に与えるか、見てみたいんだ」
 まき子は目をぱちくりした。 撮影されたことはあっても、自分で撮ったことはないのだ。
「私にはうまく撮れそうにないわ。 そうだ、粕谷に頼んでみましょう。 格闘技大会のビデオを沢山撮り貯めているようだから」
「えー」
 暁斗は不安そうだった。
「断わるんじゃない? 俺のこと嫌ってるから」
「きちんと頼めば大丈夫。 粕谷は親切な人よ」
 まき子はそう言って、リムジンを車庫に入れ終わった粕谷が通りかかったところを呼び止めた。
「粕谷! 夕食までにはまだ間があるから、ちょっとお願いがあるんだけれど」
 粕谷は立ち止まって、並んでいるまき子と暁斗を見比べ、ガンダムのように肩を怒らせて歩いてきた。
「なんでしょう、まき子様」
「明後日からバイオリンのコンクールが始まるの。 それで、舞台で弾くときにどんな印象になるか、田中さんをビデオで撮影してみてほしいのよ」
 岩のような顔のまま、粕谷は答えた。
「地下室では光量が足りません。 小鳥の間では?」
 喜んで、まき子は笑顔になった。
「やってくれるのね! すぐに用意するわ」




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