表紙
春風とバイオリン

 24


 昼食が終わるとすぐ、まき子は博史に絵画展へ誘われた。 自分のためというより、暁斗にのびのびと練習を、そして粕谷に楽しく息抜きをさせてあげたくて、まき子はすぐに承知した。
 粕谷はいそいそとリムジンの支度をして、玄関前に回してきた。 粕谷は車が大好きだ。 格闘技の次に、最新式スポーツカーの雑誌が愛読書で、よく読みふけっていた。


 デートはそれなりに楽しかった。 気のせいか、博史はいつもより気を遣ってくれたし。 だから、印象派の絵画展を見た後、ゆっくりと創作懐石の店で食事をして、赤坂見附の交差点で手を振り合って別れた。
 リムジンが動き出してすぐ、粕谷が言った。
「今日は、まき子様が御用の間、高崎銃砲店を見てまいりました」
「そう、面白かった?」
「はい!」
 粕谷は目を輝かせ、ライフルの装填速度がどうの、照準計の精度がこうのと、立て続けにしゃべり出した。
 まき子は、適当に相槌を打ちながら、窓の外を眺めていた。 いつもながらの粕谷の声。 すわり心地のいい本皮の座席。 少しお酒の入った体を、すべてが心地よく安楽に包んだ。
 粕谷の声が少し途切れたところで、まき子は眠そうに言った。
「ねえ粕谷」
「はい」
「ずっとこのままでいられないものかしらね」
 粕谷の四角い背中が動いた。
「このままとおっしゃいますと?」
「粕谷に守られて、大好きなお父様と染小路の家でひっそり暮らすの。 そんなことは、わがままな夢?」
 粕谷はしばらく答えなかった。 まき子が、もう返事はもらえないものとあきらめた頃、不意に目が醒めたように姿勢を正して、粕谷は彼なりの考えを述べた。
「この粕谷としては、お嬢様のお望みは願ったり叶ったりです。
 でも、正直に申せば、まき子様はひっそりお暮らしになるご性格とは思えません。 まき子様は、失礼ながら花に例えれば、百合の花です。 緑の野原で淑やかに咲いているのに、どうしても目立ってしまう、あの花で」
「百合は相当高くなるのよ。 私はこんなに背が小さいのに?」
 まき子は忍び笑いをした。 すると、粕谷はむきになって付け加えた。
「小柄な百合です。 姫百合。 世が世なれば姫君だったまき子様に、ぴったりの名前です!」




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