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正式に婚約したことで安心したのか、その直後から二年間、博史は東北の研究所に出向してしまった。 その間、まき子には花嫁修業でもしていろという心づもりだったのかもしれないが、まき子は別の道を選んだ。
一般社会を知るために、つてを頼って就職したのだ。
いい選択だったと思っている。 浮世離れしたお姫様では、日々変化してゆく世の中についていけない。 その考えは、没落を恐れる父の信念でもあった。
「本当は、芸術と美に理解のある実業家を選んでほしかったのだがね」
プロポーズされたことを告げたとき、和麿はそう言って溜め息をついた。 まき子は、その言葉を聞いてびっくりした。 同じ元華族の身内として、博史を第一婿候補に決めているのではないかと、勝手に推測していたからだ。
――なあんだ、うちへ気軽に出入りを許していたのは、ただ親戚だという理由だけだったのか――
それで、だいぶまき子の熱は冷めてしまった。
あとは惰性、と言ってはなんだが、ずるずると婚約期間だけが長引いていた。 研究所から戻ってきた博史が式の日取りを決めようとしたとき、まき子は働き者のOLとして重宝がられ、あと一年働いてくれと頼まれた。
そして一年後になると、博史のほうが助教授の椅子をめぐって同僚と暗闘。 他のことにエネルギーの行かない情況となってしまった。
婚約して半年ぐらいの間に結婚していれば、まき子はそれなりに満足して、活動的ないい奥様になっていたかもしれない。
だが最近では、もう面倒くさかった。 三十を過ぎたOLが普通に見られるようになった時代だし、このまま行くところまで行くのも人生か、などと思いはじめていた。
危険な兆候ではあった。
のんびりと昼前に、博史は現れた。 こういう時間にルーズなところが、まき子にはしっくり来ない。 一時間ぐらいの距離なのに、なぜ三時間半もかかるのかと思ってしまう。 それでも気持ちを切り替えて、明るい笑顔で出迎えた。
「ごきげんよう。 お元気そうね」
「あなたも。 一段と活気がほとばしっているね。 眼がきらきらしている」
そうなのか? まき子は博史の言葉に驚いた。 元気になるようなことが、何かあっただろうか。
そのとき、まだ閉めていなかった玄関の扉から、暁斗の顔が覗き、あっさりした声が言った。
「じゃ、これから借りるね」
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