表紙
春風とバイオリン

 15


 三人が席に着いた後、和麿が卓上のベルを取って鳴らした。 すぐにキッチンに通じるドアが開き、ワゴンに載せた晩餐の数々がしずしずと運ばれてきた。
 料理を持って入ってきたのは、染小路家で長年働いている料理番と家政婦の二人で、それに粕谷も加わって手際よく皿を配った。 料理番の杉野はソムリエの資格も持ち、昨年のワインは出来がよろしいんです、と言いながらついでまわった。

 食事が始まるとすぐ、和麿は暁斗に尋ねた。
「君はプロの演奏家かね?」
フォークを止めて、暁斗はあっさりと答えた。
「いいえ、萩埜〔はぎの〕音楽大学の学生です」
 まだ学生? ――まき子は思わず、暁斗の横顔に視線を走らせた。 世慣れて見えるが、二十歳そこそこらしいのだ。 意外だった。
 和麿もまき子と同じ印象を持ったらしく、驚いた表情になった。
「若いんだね。 まき子は普段、同年代か年長の者としか付き合わんのだが」
 まき子は目を伏せた。 なんだか父が無神経なような気がしてきた。 何も、まき子のほうがずっと年上だと強調しなくても……
 一方、暁斗は和麿のなにげない言葉の意味を取り違えたらしかった。
「付き合ってないです。 バイオリンを弾かせてもらっただけです」
「いや、そういう意味では」
 ナプキンを使って、和麿は咳払いした。 そして、まき子の恐れていたことを、すっと口から出してしまった。
「まき子にはれっきとした許婚がいることだし」

「はあ、そうですか」
 いかにも他人事という感じで、暁斗は気のない返答をした。 まき子はちょっとがっかりして、そんな自分に驚いた。


 その後、和麿はくつろいで暁斗とモーツァルトの話をしばらく続け、コンクール会場にバイオリンを持ち出すのにも承諾してくれた。
「練習は、この家でやりなさい。 地下にスタジオを兼ねた防音室があるから、そこで心行くまで練習するといい」
「ありがとうございます!」
 暁斗の口調も、見違えるぐらいに明るくなっていた。 そっけない暁斗と、神経が細くて人見知りな父とが、意外にもうまく話を合わせているのが、まき子にはものめずらしく、楽しくもあった。





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