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まき子はまばたきした。 頬にキスぐらい大した意味はない。 それはわかっていたが、心臓が鼓動を速めたのは事実だった。
「ありがと」
詰まった声がささやいた。
「こんなすごい楽器に触らせてくれて」
顔を少し離して、まき子は尋ねた。
「コンクールはいつ?」
「三週間後」
「その期間で弾きこなせるかしら?」
暁斗は低く咳払いした。
「がんばれば、なんとか」
「では、もしよかったら、ここに弾きに来て。 ストラディヴァリをこの家から出すことは、お父様が許さないの。 でも、様々な名演を聴いて耳が肥えているから、あなたが立派な演奏を聴かせたら、コンクール用に持ち出すことは許してくれると思うわ」
まだまき子に寄りかかったまま、暁斗はわずかに身震いした。 武者震いのようだった。
「ラスト・チャンスだな」
「これからもチャンスはあると思うけれど」
「ないさ」
ようやく暁斗は前傾姿勢を元に戻したが、まき子の肩に置いた手は離さなかった。
「ディスコで会った初対面の女の子が、実は大変なお嬢様で、おまけに俺の死ぬほど欲しかったものを、ぽんと貸してくれるなんて。
こんな出来すぎた話、二度とあるわけないよ」
暁斗の指は、内心の興奮を示すように、まだかすかに震えていた。
「こうなったら、やるっきゃない。 明日も来ていいか?」
「ええ。 来られる日はいつでもこの部屋を使って。 斎藤と粕谷に言っておくから」
「斎藤?」
聞き返されて、まき子はためらった。
「ええと……うちの執事なの」
「執事か」
暁斗は片手を額に当てた。
「やっぱ、すげーわ」
扉が遠慮がちに開いた。 暁斗ははっとして、まき子の細い肩から手を外した。
そうしておいてよかった。 仏頂面で覗いたのは、まき子専用運転手兼ガードマンの粕谷泰治だった。
「お嬢様、ディナーのお支度ができました」
それから、粕谷はどんぐり眼をジロッと暁斗に据えた。
「そちらの田中さんも一緒にどうぞ、と旦那様が仰せです」
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