表紙
春風とバイオリン

 3


 粕谷と共に急いで公園の駐車場に行ったまき子は、つやつやと黒く光るロールスロイスに素早く乗り込んだ。 粕谷は悠然と運転席に座り、前後左右をきっちり確かめてから車を回した。
 大通りへ出たところで、まき子は思いついて、座席の横に備えつけてあるボックスを開いた。 中にはずらりとパンフレットが積まれていた。
 少し探して一部取り出すと、まき子はパラパラめくって調べた。 それから、楽しげに運転している粕谷の背中に声をかけた。
「新宿に立ち寄ってね。 ええと、三丁目駅のそばで、『シェ・ドニーズ』」
「なんの店ですか? 注文服の店でございますか?」
「いいえ。 ディスコよ」
 ハンドルを握る粕谷の手に、たちまち静脈の筋が立った。
「いけません! そのようないかがわしい場所には決してお入りになっては」
「踊りません」
 まき子は約束した。
「確かめたいだけよ。 仕事仲間がいるかどうか。 バッグに『シェ・ドニーズ』のサービスチケットを挟んでいたの。 友達を連れていくと割引になるようよ」
「そのような目先の利益をはかる仕事仲間など、どうでもいいではありませんか」
「仲間は大事よ。 少なくとも、気にかけているというところは見せなければ」
「気をお遣いなさいますな。 おいたわしい」
「何事も人生勉強です。 そのために働きに出ているのだから」
 そう答えつつ、まき子は内心で溜め息をついた。 部内の雰囲気が微妙になっているのは、無神経な上司が悪いのだ。 部長の工藤はまき子の実体を知っている。 そのため、ついひいきをしたくなるらしく、二週間ほど前にまき子が会議の参考資料をまとめて提出したとき、こう口走ってしまったのだ。
「いつも助かる。 きちんと整理されて読みやすくて。 まき子と真砂子、一字違いでえらい違いだ」
 冗談のつもりでも、当てこすりにしか聞こえない。 その日以来、まき子は何かというと石山真砂子にチクチクやられるようになった。

 粕谷がついてくるというのを何とか押しとどめて、まき子は階段をすべるように降りていった。 中をちょっと覗いて、石山たちに姿を見せておくつもりだった。 騙されたふりをして『ディナール』へ行こうかと思ったが、それでは立ち寄ったかどうか彼女達にわからないだろう。 何軒か探してやっと見つけたと、イヤミの一つぐらい言ってやろうと思った。
 ドアの前に二人の若い男が立っている。 なにやら押し問答している雰囲気だった。
 どいてくれないと、入れないな――まき子かためらって立ち止まったとき、そのうちの一人が不意に振り向いて、まっすぐまき子のほうを見た。 そして、とってつけたような明るい声を出した。
「あ、連れが来た。 じゃ、話は後で」
 連れ? まき子は彼につられて自分も振り向いた。 誰もいない。 妙だ、と思ったとたん、ぎゅっと手をつかまれた。




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