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羽衣の夢   196 月と星の夜


 座席に座った登志子は、貰ったピンクのブーケを困った目付きで眺めた。
「これ、どうしよう。 お祝いだから置いていくわけにいかないし、ずっと持ってるのも気まり悪いし」
「似合うよ」
 祥一郎がすまして言ったので、登志子は怒ったふりをして、彼の手に花束を押しつけた。
「祥一ちゃんにも似合うかも」
「やめてくれって。 駅で後輩に投げちゃえばよかったんじゃない? 外国みたいにさ」
 祥一郎が笑いながら押し返し、二人は他愛なくじゃれていたが、やがて肝心の花束のことは忘れて、手を取り合って寄り添った。
 頭を座席の背に埋めるようにして、祥一郎は天井を見上げ、思いの篭もった声で呟いた。
「やっと一緒になれた」
 車両の中は、大人の話し声と子供の高い喚声が響いていたが、二人の耳には入らなかった。 祥一郎は登志子だけに意識を集中し、登志子もまた、祥一郎の言葉のみを聞いていた。
 目を閉じて、登志子はほやほやの夫の肩に額をつけた。
「こうやってると、落ち着く」
「こっちはどきどきしてる」
 祥一郎は正直だった。
「心臓がバクバクしてるよ。 これで九州まで持つかなぁ」
 瞼を下ろしたまま、登志子は魅惑的な微笑を浮かべた。
「祥一ちゃんがノビちゃったら、私が看病してあげる。 で、寝かしつけた後は一人で観光旅行する」
「一人ぼっちじゃつまらないぞ。 旅は話し相手がいないと」
「街で見つけるから大丈夫」
「おい!」
 本気でぎょっとして、祥一郎は体を起こした。
「そんなの許さない」
「あー、もう威張ってる」
「威張らないけど、他の男を見つけるのは許せない」
「男なんて誰が言った? 女のほうが話しやすいにきまってる」
「なあ、冗談でもそんな話聞きたくない」
 祥一郎がむくれるのを、登志子は密かに楽しんでいた。 彼がどれだけ自分を好きなのか、確かめずにはいられなかった。


 新幹線が営業を始めて間もない頃で、列車を乗り継いで目的地まで行くのに半日近くかかった。
 長く列車に揺られていくのは疲れるものだが、二人は若いし、どちらも体力たっぷりなので、タクシーでホテルに着いたときも、元気で楽しい気分だった。
 おまけにその夜は雲ひとつなく、部屋のバルコニーに出ると、南国らしい澄んだ空に月と星が、うっかり糸を切らしたネックレスのようにちりばめられて光っていた。
 風のある爽やかな夜で、下の大ホールの窓が開いているらしく、柔らかなダンス音楽が階上まで聞こえた。 祥一郎と登志子は自然に抱き合い、メロディに合わせてバルコニーの上を回った。
「チークダンスって、初めて」
「僕は二度目」
「え?」
 登志子が驚いて身を引くのを引き寄せて、祥一郎は説明した。
「忘年会でさ、上役の奥さんが酔っ払って教えてくれた」
「あ、なるほど」
「疑ってるだろ」
「どうかな」
「嘘じゃないよ」
「じゃないよね。 別に告白しなくてもいいことだもの」
「でも、声が固い」
「ちょっと焼けるかな」
「おぉ」
 嬉しそうに呟くと、祥一郎は腕に力を込めて立ち止まり、唇を重ねた。
 長いキスだったので、顔が離れたとき、どちらも息が弾んでいた。
「じゃ奥様、そろそろ中に入りますか?」
 登志子は思い切って両腕を彼の首にかけ、引き寄せてキスを返しながら囁いた。
「そうしましょう、頼もしい旦那様」







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