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羽衣の夢   194 晴れの日に


 車がホテルに着くと、すぐに手際よく花嫁の身支度が開始された。
 てきぱきした若い着付け師の気分を悪くさせないよう、彼女が仕上げて満足そうに去った後、加寿がそっと帯の上端を浮かせるように結び直して、登志子を安心させた。
「これで、すこし沢山食べても大丈夫だからね」
「ありがとう。 でもあんまり食べられないと思う。 もう緊張しちゃって」
 祖母は笑って、両手で登志子の顔を優しく挟んだ。
「花嫁さんはみんなそうよ。 お化粧もうまく決まったし、後はカツラを被るだけだわね」
 二人と晴子が揃って鏡を見て、三人とも笑い出した。
「おもしろい。 こんなにぎゅっと巻くのね」
「さもないと、髪の毛が横からはみ出してきちゃうからね」
 そこへやっと、文金高島田のカツラを捧げ持って、メーキャップ係が急いで帰ってきた。 準備中に手違いがあって、他の備品置き場に紛れ込んでいたという。
「お待たせしました〜。 まだお時間、大丈夫ですよね?」


 そしていよいよ、神主さんが待つ神式挙式室に行く時間が来た。
  びしっと羽織袴を着た花婿が姿を見せたので、登志子はすっかり支度を整え、足さばきを気にしながら部屋から歩み出た。
 純白の衣装に身を包み、すべるように近づいてきた花嫁を目にしたとたん、祥一郎の頬が紅潮した。 そして、指の長い大きな手が無意識に胸を押さえた。
「きれいだ」
 感激した低いささやきに、仲人夫人に手を取られた登志子の口元がほころび、瞳に輝きが宿った。

 通路をゆっくりと歩いていくと、通りすがりの人々が目を見張って振り向いた。 中には別の式の参列者らしい男性が、思わずカメラを構えてパチリとやってしまった例もあった。 彼らの目は、雲の世界から降りてきたような花嫁だけでなく、若いのに袴さばきが見事で、堂々と立派な花婿にも向けられていた。


 ごく親しい人の出席を得て、式は粛々と行なわれた。 三々九度でわずかに頬を染めた花嫁は、誓いが終わると一瞬花婿と手を握り合い、それから披露宴へ行く支度のため、いったん式場を去った。
 だが、それは表向きのことだった。 中倉家と深見家の大人たちは、花嫁花婿を包むようにして素早くエレベーターに乗り、加納嘉子の待つ上階へ上がっていった。
 晴子の作った打ち掛けは、先にそちらの部屋へ入れられていた。 扉が開くと、嘉子は素早くソファーから立ち上がって進み出た。 そして満面の笑顔で迎えようとしたが、白無垢姿の娘を見た瞬間、表情が雨降りのフロントガラスのように崩れた。
 気をきかせて、祥一郎が新妻をそっと後ろから押して、実の母に近づかせた。 登志子は無言で嘉子に歩み寄り、両手を取って握った。
 そこでようやく嘉子は声を出したが、いつものしっとりした声から想像もできないほどかすれていた。
「お美しいわ……」
 祥一郎は振り返り、凍りついたようになっている両親に低く説明した。
「登志ちゃんの実のお母さん」
「ひえっ」
 思わず奇声を発してしまった祥一郎の母の美栄は、口を覆ってたじたじと後ろに下がった。
 父の玄蔵も、目が飛び出しそうになっていたが、なんとか口は開かずにがんばった。 彼らの世代では加納嘉子は誰でも知っている超有名人だし、文字通り雲上人〔うんじょうびと〕だったのだ。
 祥一郎は、そんな両親にぺこっと頭を下げて詫びた。
「これまで言えなくてごめん」
「いや、わかるよ」
 玄蔵が、すぐに呟くように言った。
「大変なこった。 よくやったぞ、口が固くて感心だ」







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