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羽衣の夢   188 許さぬ事情


 嘉子が、待ちきれないように言った。
「さあ、こっちに来て。 ほら、この隣に」
 登志子は喉の詰まりを晴らし、嘉子が横に置いた座布団に近づいて、遠慮がちに座った。
 五十センチほどの距離に来た娘から、遠ノ沢は目を離せなかった。
 あまり見つめられるので、注目されるのに慣れている登志子も面映〔おもはゆ〕くなり、初めて視線を合わせてまばたきした。
 すると遠ノ沢は身を乗り出すようにして、低く尋ねた。
「どなたが君をこんなに立派に育てたのか、話してくれないか?」
「立派かどうかわかりませんが、家族は本当に素晴らしい人たちです」
 登志子は言葉を選びながら、深見家の人々を簡潔に語った。
「……それで私は実の子として届けが出ているので、困ったことは一度もありません。 弟たちも私を実の姉だと思っています」
「なるほど」
 そう呟きながらうなずくと、遠ノ沢は眼鏡を外し、ハンカチを出してレンズを拭った。 素顔になると、彼は本当に登志子そっくりだった。
 拭いた眼鏡を手に持ったまま、遠ノ沢はゆっくり座りなおし、口を切った。
「幸せでよかった。 何もしてやれなくて、本当に申し訳ない」
「いいえ」
 びっくりして、登志子は思わず大きな声を出した。
「そんなふうに思ったことはありません。 事情がまったくわからなかったときも、全然そんなふうには。
 ただ、どんな人かな、とは考えたけれど」
「知らないよね。 今でもほとんど何も」
 自嘲的に呟いた遠ノ沢は、眼鏡をかけ直してから座卓に手を置いて、本格的に話し出した。
「わたしは少尉で前線に行った。 仲間はほとんど戦死したが、杉原という軍曹とわたしだけは生き残った。 なぜか運に恵まれたんだ。
 外地で収容所に入れられ、引き揚げ船に乗るまで、ずいぶん待たされた。 杉原には家族が待っていて……」
 声がかすれた。
「わたしはすぐ、嘉子さんに会いに行った。 お互い生きていたことを喜び合ったが、君を失ったことを聞いてたまらなく辛かった」
 そこで言葉が出なくなり、嘉子が後を引き継いだ。
「それでも一緒になろうと言ってくれたのよ、敏広さんは。 だけれど、今度も無理だった。 映画会社が絶対に許さなかったの。 私は売り出し中の若手で、財産を接収された父たちの生活は、みんな私にかかっていた。 前借りもしていたし」
 占領軍の華族つぶしは壮絶なもので、税金と称して財産の九割を取り上げたと言われている。 特に東京に住んでいた嘉子の父の場合、不在地主として故郷の土地まで奪われたのが大きかったという。
「ただ、戦後で一つだけいいことがあったのは、敏広さんのイギリスのお父様、ロバート・シールズさんが国に願って赴任してきて、助けようとしてくれたことよ。
 戦前は敵国人として国外追放になり、残ったお母様と離縁したけれど、妻と息子を探しに帰っていらしたの。 一緒に英国へ来ないかと誘われたのね?」
 嘉子の問いに、遠ノ沢はうなずいて認めた。
「行く気はなかった。 闘った敵の国には」
「それでシールズさんは、敏広さんの意思を尊重して戻っていかれたの。 がんばって生きてくれと言って、財産分けをして」
「預金には手をつけなかった。 今もそのままだ」
 遠ノ沢は短く言った。
「だが、気持ちの支えにはなった。 国に戻りたくても戻れなかった沢山の将兵を考えると、生き延びた自分がいつまでも落ち込んでいたら罰が当たる。 そう思った」











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