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羽衣の夢   180 二人で早く


 翌日の夜、吉彦は登志子を書斎に呼んだ。
 そこに呼ばれるのは、息子たちにとっては大抵怒られるときなので、珍しく三人とも緊張して、口が重くなった。
 晴子と加寿は、弟たちの緊張をわざと解かなかった。 友也はともかく、上の二人はもう子供とはいえない。 今まで頼りがちだった姉が、もしかして家を出ることになっても、自発的に判断して祝福できるようにしてほしかった。


 父と娘の話は、けっこう長引いた。
 終いに友也が我慢できなくなって、書斎の前の廊下をうろうろしはじめたとき、ようやく扉が開いて、登志子が出てきた。
 喜んだ友也が飛びついた。
「ねえ、だいじょうぶ?」
 登志子は少しの間、ぼうっとしていたが、いきなり友也の脇の下に手を入れて持ち上げ、ぶんぶんと回しはじめた。
 驚いたのは友也だ。 つられて半分笑いながら、あわてて姉にしがみついた。
「え? どうしたの? どうしたのさ?」
「友ちゃん〜、明日はお寿司取るわよ、きっと!」
「へっ?」
 今度は仰天した。 なんと握り寿司を配達してもらうって?
 大家族な上、食べ盛りの男子が三人もいる深見家では、正月や誕生日でさえめったにない大変な贅沢だった。
 ようやく姉から降ろしてもらうと、友也は咳き込んで尋ねた。
「怒られなかったの?」
 すると、子供でもうっとりするほど美しい眼になって、登志子は答えた。
「うん、許してくれるって」


 自分で仄めかしたように、登志子はもう待つ気はなかった。 翌日は平日だったが、昼休みの時刻を狙って、初めて祥一郎の勤務先に電話をかけた。 彼が会社の食堂で昼食を取り、早めに工場に帰る習慣があるのを知っていたからだ。
 予想は当たり、彼はすぐ電話口に現れた。
「もしもし、中倉ですが」
 深見、という苗字だけ、仲介の交換手に告げたので、母か祖母かもしれないと思ったのだろう。 祥一郎の言葉は丁寧だった。
 彼の声を聞いたとたん、登志子は胸にこみあげるものを感じ、早口になった。
「祥一ちゃん? ごめんね仕事場にかけて」
 すぐ彼の声も熱を帯びた。
「登志ちゃんか! どうした、何かあった?」
「あったというより、許してもらったの」
「何を?」
「結婚したかったら、早くしてもいいって」


 次に聞こえたのは、声ではなく激しい息の音だった。
 それが二度続いた後、上ずった声が返ってきた。
「すぐ支度しよう。 できるだけ早く二人で、いや、もちろん家族にも相談するけど、それでもできるだけ……」
 声が途切れた。 それから、思いがけない音が続いた。
 受話器に思い切りキスした音だった。











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