表紙

羽衣の夢   169 年末に会う


 鞍堂晋〔あんどう すすむ〕が生死の境をさまよっている間に、警察の捜査は大々的に行なわれ、マスコミも被害者の過去と背景をせっせと調べては記事にしていた。
 やがて、関東近県で鞍堂が手がけていた新しい工場建設計画が話題になってきた。 かなり強引な用地買収がなされていたというのだ。 地元では反対運動が起きており、関係者の一人が謎の交通事故に遭って重傷を負ったという噂が流れていた。


 登志子は事件の犯人探しにはあまり関心がなく、ただ鞍堂の命が助かりますようにと願っていた。
 彼は確かに、誤った出世欲から登志子を襲ったが、途中で止めた。 駅で突き落とそうとしたとき、登志子が踏みとどまったのに気づいていたのだから、もう一押ししようと思えばできたはずだ。 でも、彼はそうしなかった。
 鞍堂さんは、自分で思っているほど冷たい人じゃない、と、登志子は思った。 それに鞍堂さんのお父さんも、彼が恨んでいるほど薄情な親じゃないようだ。 一人息子が刺されたと聞いて、すぐ仕事を中断して飛んできたし、見舞いを終えて病院から出てきた映像では、げっそりやつれて目が赤くなっているように見えた。
 鞍堂さんが生き延びれば、きっと回りのいろんなことが、今までとは違って見えてくる。 ただ呑気に暮らしていた私が、生まれの秘密を知って、考え方ががらっと変わったように。
 人はただ生きているんじゃなく、生かされているんだと、あの時ひらめいた。 そして真剣に将来を考えるようになった。 それに、前より幸せに感じられるようにも。
 鞍堂さんにチャンスを上げてください、と、登志子は心の中で神様に祈った。


 クリスマスが過ぎ、街はあっという間に正月待ちの雰囲気になった。 そして押し詰まった三十日に、鞍堂社長が危機を乗り切って、快方に向かいはじめたという知らせが発表された。
 深見家では、みんな胸を撫でおろした。 例えは悪いが、なんとなく喪が明けたような空気になって、登志子が珍しく全員家にいた弟たちと賑やかにトランプの七並べをやっていると、祥一郎から電話がかかってきた。
「社長さん、命が助かったらしいね」
「そうね、本当によかった。 あんなことで亡くなったら気の毒だから」
「確かに。 それでさ、クリスマス前のデート、やり直さないか? 今年を盛り上げて終わろうよ」
「あ、それいい! 逢いたいなって思ってたし」
 後半は小声で言ったのだが、耳のいい弟たちはくすくす笑って、手を振ったり目をつぶってみせたりした。
「でね、映画のロードショーの券が手に入ったんだ。 今日の夕方の分なんだけど、結二がダブルデートしないかって、急に言ってきて」
「結ちゃんが?」
「そうなんだ。 友達と行くつもりが、風邪引いちゃったらしくて、無駄にするのも何だからなんて言ってさ」
「行くわ! すぐ支度して行く。 どこの映画館?」
「テアトル銀座。 迎えに行こうか?」
「そうしたら祥一ちゃん疲れるから、映画館で会いましょう」
「場所知ってる?」
「うん、友達と行ったことある。 入場券売り場のところにいてね?」
「わかった。 じゃね、待ってるよ」
「じゃ、後で」
 それから五分、驚異的な速さでトランプゲームを終わらせると、登志子は弟たちの歓声に送られて、二階へすっ飛んでいった。







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