表紙

羽衣の夢   167 重大な事件


 町中の雑踏のせいで、画面は見えても音声は外まで聞こえず、二人は吸い寄せられるように電器店の中に踏み込んだ。
 そこでも音は絞ってあって、よく聞こえなかった。 だが、間もなく下に字幕が出て、登志子が息を呑んだ。
『メイセイ電気機器社長の鞍堂晋氏(28歳)、暴漢に刺される』


 祥一郎は怖いほどきつい顔になると、登志子を腕でくるむようにして前に進み、テレビのすぐ下に行った。
 男性レポーターがビルを背景にして画面に現われ、事件の経過を興奮した早口で述べていた。
「……若いながらもやり手として知られ、将来のメイセイ重工業を背負って立つ一人と見なされています。
 そんな鞍堂晋さんが、会社での朝の会議を終え、出張で青森へ飛ぶため午前十一時四十分頃に一人で社の駐車場へ向かったところ、車の陰から男が飛び出してきて、鞍堂さんの脇腹を二度、包丁のようなもので刺し、その場から逃走しました」
 登志子は茫然と、画面を見つめていた。 テレビで大々的に説明されても、実感がまるで湧かない。 クリスマス・ソングが流れ、笑顔が目立つこの街で、誰かが刃物をふるって、鞍堂さんを殺そうとしたなんて……。
「五分ほど後に駐車場へ入ってきた車の主が、鞍堂さんの倒れている姿を発見し、すぐ通報して事件が発覚しました。 鞍堂さんはすぐ病院に運ばれ、ただいま治療中です。 容態についての発表は、まだありません……」
「どういうことだ?」
 祥一郎の呟きが聞こえた。 彼もまた、いきなりの事件に意識がついていけないようだった。
「刃物で刺すって……裏社会か? でも、あれだけの大企業系列を相手に、そこまでやれるかな」
「行こう」
 不意に登志子は居たたまれなくなった。 それで、強く祥一郎の肘を引いて、店から出ようとした。
 二人はもつれ合うように舗道へ戻ると、歩き出した。 まるで異様な闇から逃れるように、早足で。


 もう甘く楽しい気分は飛び去ってしまっていた。 だが、レストランに予約してあるから、予定を変えるわけにはいかない。 口数が減ったものの、二人は少し買物をした後、タワーに上るエレベーターに乗った。
 それでも、料理はおいしく、空腹が満たされるにつれて少しずつ気分もよくなった。
 最初に事件のことに触れたのは、祥一郎だった。
「この間会ったとき、鞍堂さん、悩んでる感じだった?」
「ううん」
 登志子は、すぐ答えた。 鞍堂はあのとき、登志子にとんでもない告白をしたが、いつものように元気がよくて、むしろ開き直っているような雰囲気だった。 つまり、彼は普段のとおりエネルギッシュで、むしろ初めて会ったときより明るかったのだ。
「誰かに脅されているような感じは、全然なかったわ」
「重役してると、いろんなごたごたの責任をおっかぶされるからな。 もしかすると、逆恨みされたのかも」
 だったら気の毒だ、と、登志子は思わずにいられなかった。 鞍堂社長は激しい性格だし、ある意味偏った価値観を持っているが、卑怯者ではない。 間違いを正そうとするだけの良心も持っている。 そういう人を、闇討ちで襲うのは、それこそ卑怯だ。
「傷が早く治るといいけど」
「そうだね」
 もし祥一郎が、彼と登志子の間にあった現実を知らされていたら、たぶん、こう素直には答えなかっただろう。
 







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