表紙

羽衣の夢   163 愛について


 登志子は生まれ持った優雅さで、座布団にふわりと座った。 祥一郎も横に座布団を置き、腰をおろしてあぐらをかいた。
「何かあった?」
 祥一郎の勘のよさに驚き、登志子はパッと顔を上げた。
「え?」
 祥一郎は安心させるように微笑んだ。
「用心深い登志ちゃんが、夜に来るのは予想外でさ」
 さすがだ。 私のことが、よくわかってる。
 登志子は息を吸い込んでから、かろうじて普通の声を出した。
「急に心細くなったの。 会いたくて……」
 言い終わらないうちに祥一郎の腕が伸び、しっかり抱きしめられた。
 登志子は目を閉じた。 これまでにない安心感にひたって。
 そのとき、階下から軽やかな足音が上がってきて、開き戸が軽くノックされた。
「祥ちゃん、お茶持ってきたわよ〜」
 祥一郎は小さく不満の溜息をつき、しぶしぶ立ち上がって受け取りに行った。
 狭い出入り口で、短く会話が交わされた。 ささやき声だったが、耳のいい登志子にはところどころ聞き取れた。
「まだ結婚前なんだから……向こうのご両親もきっと……」
「わかってる、大丈夫」
 祥一郎のぶっきらぼうな返事は、低くてもはっきり聞こえた。
 母親から盆を受け取って運んできた彼は、登志子と目を合わせると、眉を上げてひょうきんに言った。
「貞操の危機だってさ。 僕の自制心を信用しろってんだ」
 古風な言い回しに、登志子も思わず笑顔になった。 同時に赤くもなった。
 祥一郎はわざと大ざっぱに、どしんと座り、穏やかな声で言い添えた。
「実のお母さんのような目には遭わせないよ。 これまでずっと待ってたんだから、あと三年とちょっとぐらい、お茶の子さいさいだ」
 登志子は、胸にずきっと来るのを感じた。 無意識に問いが口からこぼれ出た。
「どのくらい、待っててくれたの?」
 祥一郎は顔をそらして、天井を見上げた。
「そうだなぁ、十三年かな」
 初めて会ったくらいのときから?
 登志子は思わず首を振った。
「まさか」
 すると祥一郎は、怖いほど真剣な表情になった。
「まさかじゃないよ。 小学校の先生にずっと憧れてた奴だっているんだぜ」
「え?」
 彼の勢いに気おされて、登志子は口篭もった。 祥一郎は一拍置いてから、驚くべき落ちで締めくくった。
「そいつ、この間夢を叶えて、その先生と一緒になった」
「ほんと?」
「ああ、ほんと。 でもって、隣の土地を買って親代々の酒屋をスーパーマーケットにして、いま猛烈に働いてる。 もうじき子供が生まれるって」
 事実なのだ。 登志子はなんとなく嬉しくなった。
「すてきな話ね。 同じ町内の人?」
「隣町。 三つ下だが、しっかりした男なんだ」
「私達も負けずに頑張ろうね?」
 そのひそやかな言葉が耳に入ったとたん、むきになっていた祥一郎の口が閉じた。
 それから彼は、登志子の顔を手で挟んで、親指で愛しくてたまらないように頬を撫でた。










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