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羽衣の夢   162 彼の実家に


 祥一郎の腕の中はすばらしかった。 強くて、がっしりしていて、囲まれるともう何も考えなくてよくなる。 社交的だが本当は用心深い登志子にとって、母や祖母の胸と同じ、いや今はもっと落ち着ける、いこいの場所になっていた。
「祥一ちゃん……!」
 思わず甘え声になると、仔犬のように額に頬ずりされた。
「ごめんな、こっちから会いに行けなくて」
「いいって。 私は疲れてないもの」
 腕をほどいて、すぐしっかり手をつなぎ、二人はいそいそと中倉家に向かった。


 玄関を開けた祥一郎は、意気揚々としていた。
「さあどうぞ、入って」
「こんばんは」
 登志子のさわやかな声に、襖〔ふすま〕が次々と開いて、父親、母親、それに弟の結二と、従業員の一人までが顔を出した。
「いらっしゃい、登志子ちゃん! さあさ、すぐ二階に行っちゃわないで、こっちにもちょっと入って」
「はい、お邪魔します」
 うきうきした祥一郎母の誘いを受け、登志子は靴を脱いで揃えてから、二間をつなげた広い和室に入った。
 やや遅い時間とはいえ、まだ九時なので、茶の間には座布団がいい具合に散らばり、広げた雑誌や将棋盤の横で、テレビが喜劇中継を始めたところだった。
 座卓のあちこちに置かれたビールのコップを母親がすばやく集めている間に、結二が部屋の端に積んである座布団を一枚出してきて、父親の席の隣に置いた。
「まーたまた綺麗になっちゃって。 登志子ちゃんから電話があったって聞いて、兄ちゃんずっとそわそわしてて、鴨居に頭ぶつけるところだったんだよ」
 とたんに祥一郎に追い立てられた。
「うるせーよ、あっちに座ってろ」
 結二は笑いながら飛んで逃げ、あやうく座卓を倒しそうになって、母に怒られた。
 上座の座椅子にのんびり座った父親は、顔中を大きな笑いに崩して、登志子にうなずきかけた。
「よく来たねぇ。 これからもちょくちょくおいで」
「はい」
 登志子がきちんと座って、紙袋から祖母に託されたお土産を取り出すと、父親はむずかしい顔になって首を振った。
「そんな他人行儀な。 こんどからは、から手で来るんだよ」
「そうしますけど、これはお祖母ちゃんが漬けた梅干なんですよ。 今年は梅の実が豊作で、私達も手伝って沢山取れたんで、おすそ分けに」
「ああ、そういうことなら喜んで頂くよ。 いいねえ、自家製か」
 梅を種に話が弾み、祥一郎が婚約者を茶の間から連れ出せたのは、小一時間も経ってからだった。


 ちょっと急な階段を上って二階に行くと、半畳の板の間に内開きの板戸が二つついていた。
「こっちの左側が結二の部屋で、こっちが僕のだ」
 部屋の中は六畳ほどの空間で、畳を三枚敷き、残りは家具を置けるよう板の間になっていた。
 祥一郎は、いわゆるバンカラではないらしく、二つの箪笥が整然と並んでおり、窓横に置かれた座り机もきれいに片付いていた。
「殺風景な部屋だろ?」
 彼は少し照れたように言い、大判の座布団を押し入れから出して、畳に置いた。







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