表紙

羽衣の夢   159 叶わない恋


 長い電話の後、鞍堂は謝りながら電話ボックスを出てきた。
「やあ、待たせてごめん。 いつもの車じゃないんで、自動車電話がついてなくてね」
 それから二人は、それぞれ考えにふけりながら車に戻り、帰路についた。


 帰りの旅では、鞍堂の口は行きより軽かった。 浜辺で心の重荷を下ろして、緊張がほぐれたのだろう。
「君の友達の格好いい男性、中倉くんと言ったっけ、最近幸せそうなんだってね」
 登志子はまばたきし、恥ずかしそうに赤くなった。
「中倉さんとは、将来結婚するつもりです」
 それを聞いてすぐ、鞍堂は楽しげに微笑した。 さっきより大分くつろいで見えた。
「早いね。 もう決めちゃったの?」
「はい」
 きっぱりと、登志子は答えた。 すると鞍堂は、車の行き交う道路をしっかり見据えて運転しながら、ぽつりと言った。
「僕にも気の合う人がいるんだけどね。 年上だし、片親だから、父は反対するに決まってる」
 登志子は胸を突かれた。 それでは鞍堂にも、愛しいと思う相手がいるのだ。
 そして、不意に思った。 いくら財産や地位があっても、好きな人と自由に一緒になれないなら、なんてつまらないんだろう。


 用心の上にも用心して、鞍堂は阿佐ヶ谷の隣の高円寺〔こうえんじ〕駅前で、登志子を下ろした。
「今日は遠くまで付き合わせちゃって、悪かった。 ここからなら定期使って、電車で帰れるよね」
「はい、送っていただいて、ありがとうございました」
「じゃ、お幸せに」
 今までで一番優しい口調でそう言い残すと、鞍堂はすぐ車を回し、表通りに出ていった。
 残った登志子は、一歩一歩足を踏みしめて、駅の外階段を上った。 途中でふらりと体が泳ぎかけ、急いで壁に手をつく一幕があった。
 やはり相当な衝撃だった。 ホームで思い切り押されたときの、あの無情な一突きが、鞍堂社長のものだったとは……。
 虚空に落ちかけたときの目まいと、殺されそうになるほど誰かに憎まれていたという恐怖の念が、たった今起きたことのようになまなましく思い出された。
 それに、実の父のこと! 誰にも、祥一郎にさえも相談できないという事情で、登志子はひどく心細かった。 『遠ノ沢敏広』氏の姿をじかに見たい気持ちで一杯だが、そっと見に行くなんて、とんでもないだろう。 彼の背景を調べるのさえ、まずいかもしれない。
 そのとき、目の前にパッと電気が灯ったような気がした。 ただ一人、訊ける人がいる。 すべてを胸にしまって、戦後の大変な時代を生き抜いてきた、生みの母だ!







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