表紙

羽衣の夢   158 父への思い


 あの知事さん……。
 登志子は軽く頭を殴られたような気がした。
 横浜に住む友人の椿沢が選挙の話をしたおかげで、興味を持ってテレビで見た記憶がある。
「眼鏡をかけた、立派な顔立ちの人ですね……」
「そう。 あれを取ると、君によく似ているよ」
 登志子の息が、不規則になった。 あのとき弘樹が何げなく言った言葉が、不意によみがえって脳裏をぐるぐると回った。
『なんか、見た気がする』
 弘樹は直感が鋭い。 変装で眼鏡をしたときの登志子の顔を、頭のどこかで思い浮かべたのかもしれない。
「あの眼鏡は、実は伊達〔だて〕なんだ。 いい男すぎて、嫉妬する奴がいてね。 実は眼鏡もよく似合っちゃうんだが」
 そう呟いて、鞍堂は口端をゆがめて微笑した。
「政治家は、親しみのあるイモ顔が有利なんだよ」
 言い終わる寸前に、甲高い小さな音がした。 すると鞍堂が腕を伸ばして高価そうな時計に目をやり、低く呟いた。
「え? もう時間なのか?」
 メモリー・ベルつきの高級時計だった。 彼は、石のように立っている登志子に視線をやり、固い声で呼びかけた。
「電話しなくちゃならない。 この辺に公衆電話あったかな」
 登志子は我に返り、ここへ降りてきた道を思い出そうとした。
「たしか、駐車場の傍にボックスが」
「そうか。 行こう」
 二人は小走りで、浜辺を後にした。


 公衆電話ボックスは、登志子の記憶したところにちゃんとあった。
 鞍堂が中に入って会話している間、登志子はボックスの角に寄りかかるようにして、今日聞いた驚くべき話を、じっくり思い返していた。
 世間的に言えば、鞍堂社長は殺人未遂犯だ。 だが、それを聞かされた今でも、登志子は彼が怖くなかった。 もう危害を加えられることはないと、社長が彼女を信じるのと同じように百パーセント信用していた。
 ほんとに奇妙な関係だ。 でも多分、交流するのは今日が最後だろう。 彼は彼の世界に帰っていく。 野望と駆引きと、苛烈な競争の世界に。
 仕事での勝負に勝つ、というのは凄い快感なんだろうな、と、登志子は想像してみた。 スポーツで優勝する喜びは何度か味わっている。 きっとあのしびれるような歓喜に似て、もっと強いのだろう。
 なんだか寒気がして、登志子は肩をすくめた。 役に立つ製品の開発と改良に努力する祥一郎の存在が、いつも以上に懐かしく、尊くさえ思えてきた。
 まだ電話は続いている。 登志子は体の向きを変え、はるかにかすんだ水平線に続いている相模〔さがみ〕湾の海を眺めた。
 実の父は、ここの県知事だった。 しかも鞍堂の話によると、更に中央政界を目指すという。 どんな家庭を持っているのだろう。 血のつながった私のきょうだいがいるとすれば、それはどんな人?








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