表紙

羽衣の夢   155 重大な告白


 それから鞍堂は、後ろに右手を回して左の上腕を掴み、うつむき加減でまた歩き始めた。
 登志子も黙って、彼についていった。 鞍堂の緊張は増していて、肩に力が入っている。 彼の言う『大事な話』を聞くまでは、自分から話しかけるのはよくないような気がした。


 鞍堂は突然立ち止まった。 そして、危うくぶつかりそうになった登志子を振り向き、口早に語り出した。
「僕はここで育った。 着飾って遊び回るしか能のない母親に育てられた。 母は僕を金づると言っていたんだ」
 登志子は思わず視線をそらした。 聞くのが辛い身の上話だった。
「かわいがってはくれたけどね、気まぐれに。
 父はそれさえしなかった。 愛人の家に通ってきても、僕には厳しく当たるだけだった。
 十二で受験して、難関の中学に受かったときに、初めて迎えに来た。 母にいくら払ったかは知らない。
 それからは柿ノ木坂の本宅に住まわされた。 意外にも本妻さんはいい人でね、実の母よりよくしてくれた。 それだけは感謝してるよ」
 ますます居心地が悪くなって、登志子は江の島のほうに視線をすえた。 このような立ち入った家庭の事情を聞く立場にはない。 なぜ、この私に話すんだろう。
 鞍堂は、背後で組んだ腕をほどき、前で手と拳を叩き合わせた。 びしっという鈍い音がした。
「父が憎かった。 見返してやることばかり考えた。 それには力が要る。 金、人脈、権力がどうしても必要なんだ」


 男の野望がわからない年ではない。 それにしてもなまなましすぎて、登志子は閉口していた。
 そのとき、鞍堂が奇妙なことを始めた。 先ほどから北風が強くなってきて寒いのに、まず紺色のコートを脱いで下に置いた。 それから灰色のプルオーバーの襟元に手をかけて、後ろに垂れていたフードを、ゆっくり頭に被った。
 その姿で、鞍堂は登志子を射抜くように見つめた。 そして、瞬きもせず、落ち着いた声で言った。
「君を駅のホームから突き落とそうとしたのは、僕だ」


 二人の視線は、からみあったまま、しばらく動かなかった。
 登志子はぴくりともしなかったが、その間に意識はめまぐるしく動き、駅での突発的事件と、その後しばらくのことを凄い速さで思い出していた。
 犯人は灰色のパーカーシャツを着て、フードを深く被っていた──目撃した登志子の友人は、そう話してくれた。
 そのことを知っているのは、他に深見家の大人だけだ。 それと、犯人と。
 鞍堂社長がまぎれもない事実を語っていると、登志子は悟った。


「なぜ?」
 落ち着いた声で尋ねたつもりだったが、実際は息が混じって、かすれてしまった。
 その問いには、なぜ突いたのかという疑問と、どうして自分から告白したのかという驚きが、両方ふくまれていた。
 鞍堂は唇を噛み、ポケットに手を入れて、爪先で砂を軽く掻いた。
「今話した。 権力のため。 君がいると、まずかったんだ」







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