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羽衣の夢   153 電話と電話


 十五分も待たずに、再び電話のベルが鳴った。
 家族には先に食事を始めてもらって、登志子は茶の間の壁際にある電話を取った。
「はい、深見です」
「登志子ちゃん? 私よ」
 加納嘉子の豊かで特徴のある声が耳に届いた。 登志子はゆっくり畳に座り、静かに口を切った。
「勝手なお願いをして、すみません」
「とんでもない。 嬉しかったわ。 年甲斐もなくどきどきしちゃった。 久しぶりねぇ、じかに話せるなんて」
「そうですね。 私も、なんか緊張してます」
 自然と口調が柔らかくなった。 この人も、確かに私の母。 私を守るために、苦労と我慢を重ねてくれているのだ。
「お知らせしたいことがあって。 あの、私、婚約しました」
 一瞬の間が空いた後、かすかなあえぎが聞こえた。 そして、咳き込むような声が続いた。
「婚約?」
「はい、相手は幼なじみです。 名前は中倉さん。 中倉祥一郎さんで、○○電機に勤めています」
「まあ!」
 今度の反応は早かった。 しかも、喜びに満ちていた。
「まあ、そうなの! その方、夏の別荘であなたの用心棒だと言った青年でしょう?」
 覚えていてくれた。
 登志子は嬉しくて、満面の笑顔になった。
「そうです! 彼、いい人ですよね?」
「ええ、あの人なら言うことなし。 おめでとう、登志子ちゃん」
 それから、囁きでもう一言、付け加えた。 登志子には、こずえちゃん、と嘉子が呼びかけたように思えた。


 もっと話したかったが、そこへ男の声が割り込んできて、グラスの当たるカチンという音が聞こえた。 背後のざわめきからみて、ナイトクラブかパーティー会場のようなところから、かけてきたらしい。
「はい、今行きます」
 嘉子がその男に返事して、それから電話を手で覆ったらしく、周囲の音が篭もった。
「嫌だわ、話したいことが山ほどあるのに。 後で手紙を書くから、あなたも書いてね」
「はい、詳しく書いてお知らせします」
「喉から手が出るほど待ってるわ。 じゃ、またね。 また話したいわ」
「そうですね。 それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ、登志子ちゃん」


 ゆっくり受話器を置いた登志子の横顔を、晴子がそっと見つめた。 すぐ気づいて、登志子は母に微笑んだ。
「祥一ちゃんのこと、ちゃんと覚えててくれた。 とっても喜んでくれたわ」
「そう、よかったわね」
 吉彦が、真面目な表情で顔を向けた。
「ちゃんと報告したんだな?」
「ええ、婚約前じゃなく、後になったけど」
「それでも、嬉しかったと思うよ。 祥一郎くんみたいなタイプは、親も喜ぶ模範青年だから」
 滋が箸を止めて、おでこに皺を寄せた。
「祥ちゃんは、そんな感じじゃないよ」
「え? じゃ不良か?」
 父がからかうと、滋はにこっと笑った。
「違うのわかってるじゃん。 でも、模範生なんて言われると、変な気持ち」
「そうだよね? 祥ちゃんはガリ勉じゃないし、運痴でもないし」
 友也の放った聞きなれない言葉に、吉彦の目が丸くなった。
「ウンチ?」
 とたんに男の子たちが笑い出して、弘樹などは腹を抱えて畳に転がった。
「運動音痴のこと! トイレに関係なし」
「当然だ。 食事中にそんな言葉を使うのはいけない」
 吉彦は威厳をつくろって、それから笑った。




 三日後、登志子は思わぬ電話を受けた。
 通学して、五時少し前に帰ってきて、玄関で靴を脱いでいると、呼び出し音が鳴った。 珍しく誰も家にいないようなので、急いで上がって取った電話から、聞き覚えのある声が流れ出た。
「もしもし、深見さんのお宅ですか?」
「はい、鞍堂さん?」
「ああ、よかった、君で。 実は、どうしても会って話したいことがあるんだが、いいかな?」








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