表紙

羽衣の夢   145 急に電話が


 その日、登志子が家に戻って、母と祖母に突然の取材と鞍堂社長の謝罪について話していると、電話がかかってきた。
 傍にいた晴子が出て、目を輝かせた。
「あら、祥一郎ちゃん? お元気?」
 手紙のやりとりはしているが、祥一郎はめったに他の連絡をしてこない。 登志子は驚いて顔を上げた。 そんな娘に、晴子が笑顔を向けて受話器を差し出した。
「登志ちゃんにって」
「はい」
 受け取ったものの、なぜかどきどきした。 不意に電話をくれることなんて、これまでなかったのに。
「こんにちは」
 挨拶すると、いつもの落ち着いた声が返ってきた。
「やあ、急にかけてごめん。 週末だけど、明日か明後日に時間空いてる?」
 土曜と日曜だ。 明日は確か…… 素早く頭を巡らせて、登志子は答えた。
「明日は午前中に一時限講義があるだけだし、日曜日は予定なし」
「そうか。 じゃ日曜にでも、ちょっと会えないかな」
「どこで?」
「えぇと、深大寺〔じんだいじ〕なんか、どう? 松本清張の小説で有名になっただろ? まだ行ったことないんで、行かないか?」
「そうね、そうしましょう。 じゃ、何時に?」
「君の都合のいいときに。 何時がいい?」
 尋ねた声の調子に、登志子は張りのなさを感じた。 いつもとやっぱり違う。 会社で何かあったのだろうか。
「午前中に行って、名物のおそばを食べるっていうのは?」
「それでいい? じゃ、十時に吉祥寺駅の南口で」
「はい。 十時に南口でね」
 約束がまとまって電話を切ると、さりげなく耳を傾けていた母たちが、一斉に目を向けてきた。
「名物のおそばって、どこのことかな?」
 晴子が楽しそうに訊いた。 登志子は少しためらってから答えた。
「深大寺。 駅からどうやって行くか、知ってる?」
 名所旧跡に詳しい加寿が、さっそく教えてくれた。
「心配しなくても、駅前に『深大寺前』っていうバス停があるわよ。 乗ったら直通よ」
「ああ、楽に行けるのね」
 年上の女性たちが嬉しそうなので、登志子も笑顔になってみたが、気分は浮き立たなかった。 いつもの元気を失ったような祥一郎の話し振りが、登志子の心に影を投げかけていた。




 それでも日曜日の朝になり、朝食後に出かける支度をしていると、これまでになく胸が高鳴ってきた。 もう何ヶ月も祥一郎に会っていない。 あいかわらずスマートで、かっこいいだろうか。 秋用のスーツがよく似合うかな。 それとも普段着に近い気軽な格好で現われるのか。
 この日、登志子は初めて、綺麗に見られたいと思った。 手持ちの服のなかで一番女らしいといわれるフレアースカートと白いレース付きのブラウスに、薄手のクレープの上着を合わせて、、駅に行くバスに乗ると、乗客の何人かが息を呑んで見とれた。
 電車で目的の駅に着いても、状況は同じだった。 男性が目を見張るだけでなく、すれ違った若いカップルまでが小声で囁きあっていた。
「すっごい美人。 タレントさん?」
 そこでようやく、登志子はおしゃれしすぎてきたことに気づいた。 素通しの眼鏡を持ってくればよかったかな、と思いはじめたとき、駅の構外に下りる階段の上で、切符売り場の近くにさりげなく立っていた祥一郎の姿が目に映った。







表紙 目次前頁次頁
背景:kigen

Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送