表紙

羽衣の夢   136 社長の印象


 登志子は一瞬とまどって、目をしばたたいた。
 メイセイ重工業とは、たぶん日本中の大人が知っている大企業だ。 戦前はもっと大きい財閥の一角で、世界に名を馳せた軍事産業会社だった。
「うわぁ……じゃ、鞍堂〔あんどう〕さんはそこの社長さんなの?」
「親会社のじゃないかもしれないが、系列の子会社の社長なら、ありうるな」
「まだ二七か二八歳なのに、会社のトップなんだ」
 登志子が感心すると、吉彦は驚いた表情になった。
「年齢まで知ってるのか?」
「見かけは老けてるけど本当は、って自分から言ったの」
 吉彦は苦笑して頭を振った。
「気さくなのか、それともプレイボーイなのか」
「そうじゃないと思う」
「ねえお姉ちゃん、ビニールボール渡して!」
 だいぶ近づいた二人を見つけた滋が、大声で呼びかけてきた。 登志子はすぐ思い出して、持って来たぺったんこのボールを海浜着のポケットから出し、両手を伸ばす滋に投げてやった。 すると滋と弘樹が取り合うようにして、代わる代わるふくらませはじめた。
 三人兄弟がボール遊びに夢中になったため、吉彦と登志子は更に少しの間、二人だけで話し合うことができた。
「なんでプレイボーイじゃないと思うんだ?」
「態度がね、違うの」
 登志子は疑わしそうな父に、わかってもらおうとした。
「とてもさっぱりしてる。 親切だけど、馴れ馴れしくないし、なんて言うか、包み込むような目をしてるの」
「それは……」
 男の作戦かもしれないよ、と言いかけて、吉彦はためらった。 登志子のすばらしいところは、人を差別しないところだ。 相手の肩書きや評判ではなく、自分の目で判断して対応するようにと、学校でも教えられている。
 そして登志子の場合は、これまで成功していた。 登志子は小さいときから迷子になったことがなく、知らない人についていくこともなかった。 奇跡のように運がいいのかと思ったが、実は判断力がよくて、みずから危険を避けるのだとわかったのは、小学校のときだった。


 親が急病だと言って学校友達を車で迎えに来た人間がいた。 女性だったし、真に迫った態度だったため、先生まで信じて、女子生徒を送り出そうとした。
 そのとき、深刻な表情をした登志子が若い受け持ちの先生に近づき、袖に触れて小声で言った。
「先生、あの人、下を向いて笑ってました」
 教師は賢い人だった。 それで、疑いが頭をかすめた瞬間、とっさに迎えの女性に提案した。
「どこの病院ですか? 私も一緒について行きます。 横田くん(=学級委員)、教員室に行って、教頭先生に伝えて。 入江さんのお母さんが倒れたから、私が付き添って病院に行ったって」
 とたんに迎えにきた女の態度が変わった。 目付きが定まらなくなり、大したことないから先生まで来ることない、と言い出した。 これで先生だけでなく、クラス中が彼女に白い目を向け、いたたまれなくなった女は、これから病院に連絡してきますから、と言い残して、姿をくらました。
 入江昌子が大きな製菓会社専務の一人娘だったので、これはおそらく金目当ての誘拐未遂だろうと判断された。 未然に防いだ先生は褒められたが、最初に気づいた登志子の名前は伏せられた。 犯人に逆恨みされたら困るからだ。


 その顛末をPTAで先生に聞かされて以来、深見夫妻はますます長女を大事に思い、判断力を尊重してきた。 だから吉彦は、鞍堂に対する登志子の意見を、若い娘の希望的観測と切り捨てる気持ちにはなれないでいた。







表紙 目次前頁次頁
背景:kigen

Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送