表紙

羽衣の夢   126 寂しさ違い


 その日の昼食は、これまでになく豪華なものになった。
 登志子が『魔界』から逃れられたお祝いと、明日に全員で帰るため残りの食料をすべて使ってしまおうという魂胆のため、冷蔵庫のチルドルームを空っぽにすべく、焼肉とステーキを同時に出すというご馳走づくめに、男連中は歓声を上げた。
 晴子は加寿のため、マグロとサバで寿司を作った。 登志子はこっちを手伝った後、長テーブルの左に座った。 右側には三兄弟と父がいて、ホットプレートでせっせと肉を焼いている。 祥一郎はというと、両グループに挟まれる形で登志子の横に座り、晴子にマッシュポテトつきのステーキを出してもらって、舌鼓を打っていた。
 右側では盛んに賑やかな声が上がり、冗談や笑いが飛び交った。 みんな快い興奮状態で、とても楽しそうだ。 まだ一緒に騒ぐ元気はなかったが、登志子は嬉しい気持ちで耳を傾けていた。
 すると、横から低い声が降ってきた。
「静かだね」
 祥一郎だ。 登志子は不意にわくわくした気分になり、冗談で返した。
「祥一ちゃんもね。 ビフテキおいしい?」
「頬っぺたが落ちそうなほど」
 そう言って、祥一郎は手でピタピタと両頬を叩いてみせた。
「登志ちゃんも食べる? さっき断ってたけど」
「大きな肉はお父さんにあげたかったの。 あまり食欲なかったから。 でもやっぱり、おいしそうね」
「じゃ、僕のをあげる」
 祥一郎はにこにこしながら、ステーキをカット済みの皿を登志子に差し出した。
「ありがとう」
 小さい一切れをソースごと口に運ぶと、ふわっと慣れ親しんだ母の味がした。
 実の母は、こういう家庭の味をほとんど知らずに育った人だった。 嘉子が四歳で生みの母を病で失った後、父の侯爵は若く美しい大商人の娘を後添えとして迎えたが、三年経っても子供に恵まれなかったため、後継者が産めなければ妻の資格はないと、離縁したという。
 でもその若い後妻は、嘉子をかわいがってくれた。 歳の離れた妹のように思ったらしい。 彼女が屋敷を出されてから、嘉子を気遣ってくれるのは家政取締りの堀川あき子という女性ただ一人になってしまった。
「嘉子さんは強い。 私にはずっと賑やかな家族がいるから、孤独にはきっと弱いと思う」
 ゆっくり皿を戻すと、唐突に変わった話題に驚きもせず、祥一郎は静かに返事した。
「君だって強いよ。 狙われてたのに全然びくびくしなかったじゃないか。 ふつう眠れなくなったり、神経過敏になるもんだろう?」
「そろそろそうなりかけてたかもしれない」
 登志子の口が、自嘲するように小さく下がった。
「さっきふらっとなって倒れかけたもの」
「えっ?」
 本気で驚いて、祥一郎の目が鋭くなった。
「大丈夫?」
「ええ、目まいがしただけだから。 ごめんなさい、言わなきゃよかった。 心配させるつもりなかったんだけど」
 わずかな間があいた。 それから、祥一郎が呟いた。
「そんなに構えること、ないのに」








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