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羽衣の夢   121 家への誘い


 思慮深い吉彦にしては、珍しい不注意だった。 きっと加納嘉子のいうとおり、長い一人暮らしに疲れて、少しでも早く家族と合流したかったのだろう。 猛暑にめげず働いている父の余分な苦労を思って、登志子は申し訳ない気持ちで一杯になった。
「もう何も起こらないですよね?」
 真剣に訊き直すと、嘉子も怖いほど真剣にうなずいた。
「誓います」
「それなら」
 言葉と同時に、登志子はまだ手をつないだまま立ち上がった。 半分引っ張られる形になった嘉子は、中腰になって途方に暮れた表情をした。
「あの」
「うちへ来てくださいませんか?」
 嘉子はハッとした。
「それは無理……」
「お願いです。 両親と祖母は、加納さんにお目にかかりたいと思います」
 登志子は拝むようにして頼んだ。
「家族に内緒で会って、これっきりになりたくないんです。 大事なお母さんですから」


 嘉子はまじまじと、目の前にある白い夕顔のような美しい顔を見つめた。
 唇がかすかに震え、搾り出すような声が出た。
「あなたは……私とあの人のいいところだけ受け継いでいるのね。 彼は磁石のように周りを引き付ける性格なの。 それに私が褒められるときはたいてい、まじめで一途だと言われるわ。 あなたも一途なのね」
 無意識に、登志子は微笑んでいた。 女優という派手な職業につきながら、加納嘉子という人には高ぶりや気取りが感じられない。 本当にまじめそうで、むしろ人見知りなのではないかと思われた。
「自分ではよくわかりません。 引き取ってくれた家族なら、私のいいところと欠点をよく知っていると思います。 きっと話したいことが一杯ありそうです。 もしまだお時間があるなら、どうか来てください。 無理にお話を聞き出そうとする人たちじゃないですから」
 嘉子の息が浅くなった。 心を決めかねて迷っている様子がありありとわかった。
 そのとき、背後から低く男らしい声が聞こえた。
「僕からもお願いします。 お辛いでしょうが」
 嘉子が硬直した。 まだ手をつないでいた登志子には、彼女の狼狽が文字通り手に取るようにわかった。
 林の小道を歩いてきたのは、祥一郎だった。 彼もさすがに硬い表情をしていたが、目は明るくきらめいていた。
「すみません、一部立ち聞きした形になって。 でも僕は用心棒として来てるんで、登志子ちゃんが家を抜け出したら、ついてこないわけにいかなかったんです」
 よろめきながら立ち上がった嘉子は、背の高い青年に視線を集中させた。
「あなた、どなた?」
「中倉さんです。 幼なじみで」
 登志子が早口で説明した。 嘉子は交互に二人を眺め、緊張で乾いた唇を湿らせた。









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