表紙

羽衣の夢   119 色んな力が


 登志子は手を伸ばし、嘉子の手に触れた。 不意に、さわってみたくて仕方がなくなった。
 この人も今のお母さんと同じ。 必死で私を守り、自分の手で育てようとした。 お母さんとの違いはただ一つ、後ろ盾になってくれるお父さんがいなかったことだ。
 手を重ねられて、嘉子はハッとして動きを止めた。 そして、ふるえる声で一言だけ言った。
「ごめんね」


 二人は肩を寄せ合って、しばらく無言でいた。
 それから、登志子がそっと尋ねた。
「私は鈴木敏夫さんに似てるんですね?」
 嘉子はゆっくり息を吐き、大きくうなずいた。
「生まれたときからね。 あの喫茶店であなたを見たとき、私の子も生きていたら、こんな風になったかもしれないと思った。 だからしばらく見とれてしまったの。 まさか本当に……」
 ふたたび声がかすれた。 低く咳払いしてから、嘉子は辛そうに続けた。
「檜山〔ひやま〕が独断で調べたのよ。 私のマネージャーなんだけど。 そして興奮して私のところに来たの。 どうもおかしい、深見家は終戦の年の冬に、内輪で赤ん坊の葬式を挙げているって」
「突然死だったそうです」
 登志子は静かに口を切った。
「元気だったのに突然息が止まってしまって。 そんなとき、私が川を流れてきて」
「川?」
 嘉子は息を詰めた。
「神田川?」
「はい。 大きなトランクに入って、上等なベビー服を着ていたらしいです。 今でも大事にしまってあると、祖母が言ってました」
 トランク、と嘉子は二度呟き、唇を震わせた。
「英語やフランス語のシールが張ってあったでしょう? それよ、私が実家を連れ出されたとき、それに身の回りのものを詰めてきたの。 死んだ兄のトランクだったのよ。
 でも、なぜ……?」
「大空襲の日だったんですよね」
「ええ、ええ! カナさんのご亭主が私を大八車に乗せて、狭い路地を必死に走って助けてくれた。 後からカナさんが、あなたを抱いてついてくるはずだったの。 でも山のような人が逃げ走っていて、途中ではぐれてしまった。
 トランクには着物と、あなたのおむつを詰め込んだはず。 どうしてその中に、赤ちゃんが……」
「やっぱり、救おうとしてくれたんですよ」
 登志子は無意識に、空いている左手で胸を押さえた。 何人もの人が、自分を助けようと力を尽くしてくれた。 それが改めて、深い実感となってこみあげてきた。
「カナさんはたぶん、火に巻かれてしまって、とっさに私を頑丈なトランクに入れて水に流してくれたんです。 そのとき自分も飛び込んだかもしれない」
 嘉子はのろのろと首を前に倒した。 やがて重ねていた手の甲に熱いものがぽたっと落ちるのを感じて、登志子の眼にも涙がにじんだ。
「カナさんはとうとう見つからなかった。 あの翌日、下町の川はどこも死体がいっぱいだったわ……。
 本家は焼けなかったけれど、父はとっくに疎開していて、家は閉められていた。 私は静岡にいる親のもとになんか行きたくなかったから、実家の門番小屋で門番夫妻と山田のご亭主と四人で暮らしたの。 終戦まで」
 口調が虚ろになった。
「昼間はどうにかなったけど、夜一人で寝るのがたまらなくてね。 しばらくお乳が張って痛んだわ」
 








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