表紙

羽衣の夢   116 驚きの対面


 暗くなった部屋の雰囲気を、晴子のきっぱりした声が破った。
「その鈴木敏夫さんが、登志子を押してホームから落とそうとした事件と関係あるの? ううん、そんなこと、考えられない」
 一斉に皆の視線が集まった。 晴子はきりっと背を伸ばし、強い確信に目を輝かせていた。
「だって、そうでしょう? その人から見れば、登志ちゃんは血を分けた子供よ。 恨む理由なんかまったくないじゃない?
 そもそも登志ちゃんを見てごらんなさいよ。 こんなに心のきれいな子、他にいる? だから登志子のご両親は、ぜったい立派な人だと思う。 自信持ってそう思うわ」


 周囲の視線が登志子に移り、彼女は真っ赤に頬を染めた。 ここまで自分を信頼してくれる母の気持ちが、震えるほど嬉しい。
 同時に、この家の実の子に生まれたかったという思いが、心を締めつけた。
 それにしても、先ほどの奇妙な幻覚の残影が、まだ首筋あたりに濁った感触を残していた。 これまで霊感など自分にはないと思っていたが、あまりにも真に迫った寒さと声の冷たさに、登志子は怯〔おび〕えを振り払えなかった。




 その晩、地区が主催する盆踊り大会が催された。
 実は一週間前にやるはずだったが、台風が来ると予報されて順延になっていた。 その台風は逸れてしまったため、雨は一滴も降らず、間の抜けた延期だった。
 それでも人々は浴衣やアロハを着て、賑やかに繰り出した。 引き潮で砂浜が広がり、並ぶ屋台が小さく見える。 アセチレンガスの臭いで、登志子は阿佐ヶ谷の縁日を連想した。
 弟たちは相変わらず、ちっともおとなしくしていなかった。 ちょっと目を離すと、すぐ蜘蛛の子のように散らばってしまうので、吉彦が弘樹に目を光らせ、晴子は滋をそれとなく見張り、いちばんチョコチョコしている友也には祥一郎がつく、といったふうに、役割分担していた。
 加寿は足が追いつかないため、登志子と一緒に後ろからのんびりついていった。 変装する楽しさを知ってしまった登志子は、髪を短いお下げにして黒ゴムで留め、四角眼鏡をかけて、誰にもわずらわされず、のんびりと売店を眺めていた。
 やがて太鼓担当が櫓〔やぐら〕に上がり、下でレコード係がスピーカーを調節して、賑やかな音頭が流された。 日本舞踊が得意な加寿が、まず踊りの輪に入り、すぐに吉彦も晴子の背中を押して続いた。
 気がつくと、祥一郎が団扇を帯に挟んで準備していた。
「踊る?」
「ちょっと待って」
 登志子は慎重に、祖母の身振りを観察して踊り方を手でまねてみた。
「こうやって、こうと」
「ここで手を叩いて、後ろに一歩」
「わかった、覚えた!」
「じゃ、入ろう。 そら、弘ちゃんたちも」
 弟たちも、わっと囲い込まれて輪の中に押し込まれた。
 笑顔で彼らの後についていこうとしたとき、登志子は不意に袖を引かれた。
 反射的に振り向くと、すぐ後ろに背の高い女性が立っていた。 紺色の浴衣をさらりと着流して、夜なのに縁の広い麦藁帽を目深に被っていた。
 その女性は帽子の縁を少し上げ、大きな眼で登志子をじっと見つめた。 登志子はしびれたようになり、かすかなあえぎを洩らした。
 目の前に現われたその顔は、まぎれもなく加納嘉子の整った目鼻立ちだった。







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