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羽衣の夢   115 実の父とは


 翌日の午後、わんぱく達を祥一郎に任せて、登志子を交えた女三人は家の中で、父が依頼したこれまでの調査経過を聞かせてもらった。
「背後に、調べられたくない勢力がいるのは確かだそうだ。 訊きまわっていた佐倉の部下が、二度注意されたらしい」
 加寿が深刻な表情になった。
「乱暴されたの?」
「いや、口で警告されただけだ。 加納元侯爵家の醜聞をでっちあげて、三流雑誌に売ろうとしてるのか、と怒られたと言っていた」
「でっちあげだなんて」
 晴子が口を尖らせた。
「後ろ暗いことがなければ、調べられたって平気でしょうに」
「それに加納嘉子さんの場合、専属の映画会社が一流で管理が行き届いているから、まずい記事が載りそうになったってすぐつぶせるよな」
「それで早めにつぶしてるのかも」
 加寿がぽつりと言った。 
 吉彦は眉を寄せてうなずき、慎重に話を続けた。
「佐倉の仮説だと、加納さんの周囲は、彼女と引き離されて消えたという相手の男性のことを心配してるんじゃないかと言っていた」
 登志子は思わず、身を乗り出すようにして尋ねていた。
「その人の名前、わかった?」
 とたんに大人たちは口をつぐみ、何ともいえない眼で登志子を見返した。 同情と狼狽と哀しさが入り混じった、複雑な目の色だった。
 吉彦は急に息がしにくくなったように咳払いした後、気の進まない様子で口を開いた。
「鈴木。 鈴木敏夫〔すずき としお〕。 相模原の出身で、侯爵家に住み込んで雑用をしながら、学校に通わせてもらっていた。 優秀な学生だったそうだ」
「としお……」
 加寿が絶句した。 晴子は夫ににじり寄って、吉彦が参照している書類を覗きこもうとした。
「どんな字を書くの?」
「これ。 敏感の敏だ」
「登志子とは全然字がちがう。 でも音が同じなんて……」
 不思議な偶然に、みんなの口が重くなった。


 加納家を追放された後、その若者は徴兵されて戦争に行った。
その後、彼がどうなったのか、関係者は誰も知らない。
「戦死したのか、無事帰還したのかさえ、わかっていなかった。 佐倉が地元に問い合わせたところ、生きて本土に戻ったが、すぐ町を転出して、その後どこへ行ったか記載がない」
「じゃ、軍人恩給や配給も受け取ってないのね」
「そういうことだな」
「その人のご家族は?」
 加寿の問いに、吉彦は頭を振った。
「お父さんがいたが、戦時中に病死。 他には誰も残っていないらしい」
 そのとき、不意に登志子は冷たい風にあおられたようになった。 座っているのは室内で、しかも真夏の昼下がりだ。 寒さとはまったく縁のない環境で、背中に吹き付けられた氷のような風を生々しく感じ取るとは、いったいどういうことなのだろう。
 しかも、耳元で渦巻く風には、歯ぎしりにも似た不気味な低い声が混じっていた。
「今に見ていろ。 お前らのしたことを、俺は金輪際〔こんりんざい〕忘れないぞ」







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