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羽衣の夢   114 密かな悩み


 だが、そう考える間にも、登志子は無意識に両手を握り合わせ、祥一郎に突然抱きしめられたときの奇妙な悪寒を思い出さずにはいられなかった。
 それまで登志子は、一度も祥一郎を怖いと思ったことはなかった。 彼は絶対に自分を傷つけない──そう心から信じていたし、今でもその気持ちは変わらない。
 だが、どの男子より飛びぬけて信用している彼でさえ、不意に腕を巻かれると体が硬くなった。 決して気持ちがいいとはいえない感覚だったのだ。
 あっ、と思った。 自分の潔癖すぎる感覚に、むしろ不安をおぼえた。 他の男子はともかく、祥ちゃんまで近づけたくないとは、思い上がりに近いんじゃないの? と、自分を叱った。
 それで思い切って手をつないだ。 そしてホッとした。 指が触れ合う感覚は、素直に心を温めてくれたのだ。
 きっと慣れる、と登志子は自らに言い聞かせた。 祥一郎はがむしゃらじゃないし、私がまだ未成年なのも知っている。 これから付き合うことになったとしても、わかりあう時間は充分あるはずだ。




 その日の晩、吉彦が早めに会社を切り上げて、袖ヶ浦へ駆けつけてきた。 これで別荘は男五人、女三人という大所帯になったわけだが、広いし、吉彦は必ず晴子と同じ部屋を取るので、泊まるところの心配は無用だった。
 晴子たちと客の祥一郎の出迎えだけでなく、わっと集まってきた子供たちに囲まれて、吉彦は喜んでいた。
「やあ祥一郎くん、来てくれてありがとう。 今日は直通で飛んできたよ。 あと五日でいよいよ夏休みも終わりだな。 直前に家へ戻るというのは疲れるから、この週末にぽつぽつ荷造りして、日曜の夕方に電車で帰ろうじゃないか」
 加寿と晴子は大賛成だったし、登志子もそれがいいと思った。 ところが三人の息子たちは、あんなに退屈がっていたにもかかわらず、祥一郎が来て新たな刺激を受けたためか、なんとなくぐずぐずした様子で顔を見合わせていた。
 その様子を見て、吉彦はからかい半分に眉を上げてみせた。
「なんだい。 ここじゃ泳いでセミを採るだけで、もう飽きたなんて言ってたくせに」
「祥一ちゃんが来てからは、また面白くなったんだよ」
 弘樹がもごもごと言い訳した後、気づいて目をくるっと回した。
「そうだ! 祥一ちゃんも日曜の夜に帰るんだよね?」
「その通り。 もう大人だから、ずっと弘樹や滋や友也と遊んでるわけにはいかないんだよ」
「でも祥一ちゃんは、僕達だけに会いに来たわけじゃないよ。 お姉ちゃんに会ったとき、一番嬉しそうだったもの」
 滋が思わぬことを言い出した。 晴子は笑いそうになって下を向いているし、加寿はにこにこ顔になっていた。
 吉彦は穏やかな表情のまま、意味ありげに祥一郎と目を合わせた。 とたんに祥一郎が真っ赤になったため、登志子は驚いた。
 祥ちゃんが困って身の置き所がなくなるところなど、想像したこともなかったのだ。
 言葉では何も言わず、吉彦はすぐ妻のほうを向いた。
「家はきれいに使っているから、いつ戻っても大丈夫だよ。 すぐ使える」
「ありがとう。 長いことチョンガー(独身)暮らしをさせてしまって、疲れたでしょう?」
「結婚前を思い出して、すぐ慣れたけど、本音を言うとわびしかった〜」
 吉彦は笑い、まといついてきた友也をひょいと抱き上げて、玄関を上がった。







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