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羽衣の夢   106 好奇の視線


 そのとき、弘樹が急に振り向いた。 もしかして会話の断片が耳に入ったかと、内緒話をしていた二人はぎくっとなった。
 だが弘樹は単に、弟と言い合うのに飽きてしまっただけだった。 止まれば後ろが追いつくのに、彼はわざわざ五歩ほど戻ってきて、寄り添うように祥一郎と並んだ。
「二人で何しんみり話してんの?」
「今夜のおかずはどんなのかなぁとか」
 間を置かずに、祥一郎が冗談を言った。 すると弘樹は真に受けて、海老天じゃないかとか、海草サラダかも、とか、いろいろ頭をひねった。
 それで、登志子が買物メモを見て、たぶんカツ丼だと明かした。
「お昼が海のもの尽くしだったから、夜はお肉にするんじゃない?」
「わあぃ」
 前を行っていた下の子たちも、登志子の明るい声で大いに喜び、振り向いて合流した。 みんな肉好きなのだ。
 こうして全員が一かたまりになったため、登志子と祥一郎の深刻な話は、ひとまずお預けとなった。


 たじみ屋、という顔なじみの精肉店に入ると、威勢のいい店長が友也と手をつないでいる祥一郎にすぐ目を留めて、登志子へ陽気に挨拶した。
「いらっしゃい! 今日はすてきなおにいさんと一緒だね」
 登志子は動じずに、笑顔で返した。
「かっこいいでしょ? 弟たちのアイドルなの」
「ほんとそうだ。 みんなで周りを固めてる」
 ほめられまくった祥一郎は、珍しく当惑した表情で登志子をちらっと眺めてから、店長に軽く頭を下げた。
「どうもよろしく」
「こちらこそご贔屓に。 それで? 今日は何にします?」
 登志子が店自慢のふんわりした大型トンカツを十枚頼み、他にも明日の分に牛肉をたっぷり買い込んだので、店長はますます機嫌がよくなった。
「毎度ありっ! 来週にはいいヒレ肉が入る予定なんで、また立ち寄ってくださいよ」


 それから青果店にも寄ってレタスなどを買い、出てくると、空はもう藍色の墨を流したようになっていて、淡く星がまたたいていた。
 滋は、加寿が用心して最近は訪れていない下町が懐かしくなったらしく、盛んに祥一郎に消息を尋ねた。
「ね、結ちゃんは元気?」
「ああ、元気だよ。 最近、水球に凝ってる」
「水球? あの海パン二枚穿くってやつ?」
「そうそう」
 どうして二枚も? 不思議だったが、男子の海水パンツの話を訊くのがはばかられて、登志子が黙っていると、代わりに遠慮のない友也が尋ねた。
「なんで二枚も穿くの?」
 登志子のほうを見ないようにしながら、祥一郎は笑いを含んだ声で答えた。
「水中でボールの取り合いが凄いから、一枚だとうっかり指が引っかかったりして、まずいんだよ」
 







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