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羽衣の夢   105 夕方の街で


 四時前、暑さの峠を過ぎた頃、子供たちは起き出してきた。 祥一郎も言葉通りしっかり寝たようで、髪に寝癖がついたと笑って部屋から現われた。
 彼の姿を見ると、すぐに弘樹が騒ぎ始めた。 早く町を案内したくてたまらないらしい。 晴子は仕方なく、登志子に夕食の買物を少し頼んで、五人を家から送り出した。


 出かけるときにまた眼鏡をかけた登志子を見て、祥一郎がさりげなく声をかけた。
「気を遣って大変だね」
 夏用のサンダルを履きながら、登志子も淡々と答えた。
「用心に越したことはないからって、お祖母ちゃんが」
「足腰が丈夫でよかったよね。 登志ちゃんが電車に轢かれてたらと思うと」
 そこで声が切れ、祥一郎は喉のかたまりを飲み込んだ。 それでもすぐ気を取り直し、さっと明るい顔に戻ったので、彼が一瞬はっとするほど怖い表情になったのは見間違えだったかと、登志子が思ったほどだった。


 まだまだ沈みそうにない太陽の光を受けて、一行は緩い坂道を下り、町のほうへと降りていった。
 高台に張り出した露天駐車場の前は、旅館やお休み処、土産物店などが並んでいる。 もう少し下がると、小さな旗をひるがえした氷屋や食堂があり、海岸近くにはシラスの加工工場や缶詰工場などが軒を連ねていた。
 魚の荷揚げ場を指差して、滋が言った。
「大きなカツオとか、見たこともない綺麗な外国の魚なんかがあるんだよ」
「氷に詰めてあるんだ。 かっちかち」
 これは友也。 弘樹は魚に興味はなく、浜辺で行なわれているスイカ割りに視線を奪われていた。
「あっ、あれ面白そう。 明日みんなでやらない?」
「ぼくスイカよりメロンが好き」
 友也がずれたことを呟き、滋に突っこまれた。
「メロン割りたいの? すっごく高いんだぞ」
「ちがうよ。 食べたいってこと」
 たあいのないことを言い合って進む男の子たちから数歩遅れて、祥一郎は登志子と並んで歩いていた。
「電話じゃ訊けなかったけど、実の親御さんがわかったって、どんな人? さしさわりがなかったら教えて」
 祥一郎に秘密にしておく理由はない。 登志子はやや声を落として、本当のことを言った。
「絶対確実かどうかわからない。 でもお父さんが調べてもらった限りでは、本当らしいの。 加納嘉子さんという人。 女優の」
 わずかの間、祥一郎は言葉を失った。
 それから、深く息を吸って応じた。
「そうか。 わかったきっかけは?」
 登志子は経緯を話した。 偶然逢ったときに加納嘉子が見せた奇妙な反応。 マネージャーが名前を聞き出したこと。 そして、戦前の隠されたスキャンダル。
 祥一郎は足元に目を落として、黙って聞いていた。
「確かに、ありそうな話だな。 加納嘉子って人、永遠の清純派と呼ばれてる女優さんだよね。 結婚どころか恋愛もしたことないっていう」
「だから、私がいると仕事上とても困るでしょうね」
「いや、そうかな」
 祥一郎は首をひねった。
「たしかにイメージは変わっちゃうかもしれないけど、うまく発表すればむしろ同情されるんじゃないか? 戦前は恋愛がむずかしかったんだから、初恋を引き裂かれて戦争で失った子供と、ようやくめぐり合ったって形にすれば」
 男性的な彼の口元が、ぐっと引き締められた。
「少なくとも、ぼくがマネージャーだったらそうするな。 闇に葬るなんてとんでもなく馬鹿な作戦だよ」







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