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羽衣の夢   99 親切な友達


 週末は父の吉彦が来ると登志子が言うと、じゃ退屈するのは週の半ばくらいだろうから、その頃に休みを取って行く、と祥一郎は言った。
「有給(休暇)ぜんぜん消化してないから、大丈夫だと思う。 なんか退屈しのぎの物を持っていくよ」
「ありがとう! 勝手なこと頼んじゃって、ごめんなさい」
「いいって。 今年は海に行ってないんだ。 三年前は逗子で海岸の監視員して真っ黒になってたが、今じゃなまっちろいオヤジだよ」
「おやじ〜? サラリーマンになると、そんな気分になる?」
 気が楽になった登志子がからかうと、含み笑いが返ってきた。
「サラリーマンって感じじゃないよ。 ふだんは背広着てないから。 いうなら現場見習いかな」
 事務職より男らしい、と登志子は思ったが、気恥ずかしくて口には出せなかった。
「毎日お仕事ご苦労さまです」
「そんなこたぁないが、時間に縛られてるのが学生の頃より辛い」
 下町訛りをまじえて、祥一郎は歯切れのいい口調で答え、休みが取れたか明日の今ごろ連絡すると言って、二人は電話を終えた。


 その夜、登志子はきれいな夢を見た。
 まるてハワイのように大きな波が打ち寄せる海岸にいて、砂浜に立って感心して見ていると、とりわけ大きな波が盛り上がり、目の前まで迫ってきて、寸前で砕けた。
 これが現実なら怖いところだが、なんとなく夢だと悟っているから、呑み込まれる心配などせずに見とれていると、浜に散らばった白い泡の中から一艘のボートが現われた。
 いや、小舟といったほうが正確だろう。 乗っていたのが髪の毛を頭上高く結い上げ、時代がかった白と柿色の薄い衣をはためかせた美しい乙女と、侍女らしい二人の女性だったからだ。
 円錐形の被り物を頭に結わえた男が、櫂を漕いで小舟を浜に乗り上げさせ、三人の手を順に引いて下ろした。
 すると、浜の横に立つ岩の間から、裾を絞った短い袴をはいた男が飛び出してきた。 浦島太郎の挿絵に似た格好だ。 彼は裸足で砂浜を駆け抜け、乙女の前にひざまずいた。
 乙女は腰をかがめて男に手を差し伸べ、優しく立たせた。 それから二人は、ひしと抱き合った。
 古代の絵巻物のような光景を、登志子は息を詰めて見守った。 彼らには明らかに登志子が見えていない。 まるで気にせずに、喉にこもった方言のような言葉で、熱っぽく話を交わしていた。
 だから登志子は、遠慮なく人々を観察することができた。 乙女はういういしく、いかにも世間知らずの印象だ。 それに引き換え、男のほうは丈高いが敏捷で、漁師か船乗りに見えた。
 身分違いの恋なのね──そう考えたとき、登志子はハッと目を凝らした。 麗しい乙女の横顔が、一度だけ目にした加納嘉子の整った骨格によく似ているような気がしたのだ。
 あの人なら、若い頃こんな顔をしていたかもしれない。 今はもうちょっと頬が引き締まって、顎が細くなっているけど。
 更に、乙女をしっかり支えて肩に添わせている若い男にも、見覚えがあるような奇妙な感じがぬぐえなかった。 よく日に焼けて、頬と鼻下に無精ひげが影を作っていて、あまり身なりを構わない雰囲気だが、彼も顔立ちは整っていた。 特に印象的なのは眼で、すっきり伸びた濃い睫毛が黒目がちな瞳をぎっしりと覆っていた。







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