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羽衣の夢   89 やっと帰宅


 入ってきたのが、速度をあまり落とさない通過列車でなくて幸いだった。
 電車の側面に危うく顔を擦られそうになりながらも、登志子はぎりぎりで体勢を立て直して、一歩後ろに下がった。
 近くにいて気がついたOL風の若い女性が、心配して傍にやってきた。
「大丈夫? 貧血かしら?」
「いいえ」
 驚きのあまり、声がかすれたが、それでも登志子はなんとか応じながら、必死で周囲を見渡した。
 誰かが押した。 それも力任せに。
 山賀の警告がなかったら、十中八、九、登志子はあのまま線路に転がり落ちて、入ってきた電車に轢かれていただろう。
 あの力強さ、無慈悲さは男のものだ。 でも手の届く範囲に、男性の姿はまったくなかった。 思い切り突き飛ばしてから、すばやく逃げたか、まだドアを開けている電車にもぐりこんでしまったのだろう。
 親切な若い女性は、登志子の肩を抱くようにして様子を確かめた後、閉まりかけた乗降口に急いで乗った。
「気を付けてね〜」と、優しい声を残して。


 彼女のおかげで、登志子は落ち着きを取り戻すことができた。
 鞄の中に贈り物を入れ、慎重に手すりを使って階段を上る最中にも、周りに注意しつづけた。 まだ不審人物が襲ってくる可能性は大いにある。 家に帰り着くまで、油断はできなかった。




「ただいま」
 普通に声を出したつもりなのに、茶の間でガタンという音がして、晴子が走り出てきたのには驚いた。
「登志子? どうしたの?」
 そう小さく叫ぶと、晴子はまだ靴を脱いでいない娘の両腕を、はっしと掴んだ。
「声が変よ。 顔色も悪いし」
 登志子は観念して、すぐ打ち明けた。
「駅で押されたの。 電車の前に落ちるところだった」
 たちまち晴子の顔から血の気が引いた。
「怪我した?」
「ううん、後輩の男子が気づいて知らせてくれて、よけたから助かったの」
「ああ……」
 衝撃で腰が抜けたらしく、晴子は上がりかまちに膝をつくと、そのまま登志子に腕を回して抱きしめた。
「よかった! その子にお礼言わなくちゃ」
 母の体が小刻みに震えている。 登志子は自分に降りかかったことなのに、むしろ犯人が母を傷つけたことに腹が立って、体が熱くなってきた。
「すぐ振り返ったんだけど、誰がやったかわからなかった。 ほんとにひどい」
「後輩さんが見てなかったかしら」
「そうだわ、見てたはず。 彼はもう電車に乗ってて話せなかったの。 明日聞いてみる」
「詳しく聞いてね」
 そう言って、晴子はようやく娘から離れ、上がるように促した。








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