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羽衣の夢   87 暗闇の訪れ


 五月も末に近いある一日。
 その日は週の半ばで、雲が空を埋めて生ぬるい風の吹く、元気の出ない一日だった。
 受験戦争のない登志子の学校でも、夏休み前には三年生が幹部から引退する。 一年の三学期、部員が集まらないハンドボール部から三拝九拝されて移籍した登志子が、あっという間に人気チームに仕上げて部長に推されてから一年、まもなく部を離れるとあって、部活のある日はいつも後輩が別れを惜しんで自然についてきて、群れて帰ることになった。
  その日も、同じ方向に家がある子だけでなく、荷物持ちと称して二年の男子が二人ついてきていた。 いつもは中央線じゃないのに、と登志子が言うと、二人はにこにこして顔を見合わせただけで、何も説明しなかった。
 ともかく六人で長い座席にずらりと並び、盛り上がってあれこれ話しているうち、あっという間に阿佐ヶ谷駅に着いた。
 後輩の女子二人と男子一人に別れを告げて登志子が席を立つと、方向違いの男子二人もついてきた。
 そして、小雨がちらついて一段と暗くなってきたホームに降り立ち、電車が去った後、男子の一人の桜河〔さくらかわ〕が鞄から平たい包みを取り出した。
「これ、二年四組の部員みんなで作ったんです。 山賀〔やまが〕と」
と隣を振り返り、
「柿本〔かきもと〕さんと僕で。 柿本さんは今日は風邪ひいて来られなかったんで、僕達で渡そうって」
 きれいな包みには斜めにリボンがかけてあった。 包装したのは、きっと女子の柿本だろう。
「え? 私に?」
「そうです。 開けてみて」
 登志子がリボンをほどくと、中に入っていたのはB5判ぐらいの大きさのアルバムだった。 普段の練習風景から杉並区の区大会出場の様子、休み時間のスナップまで、登志子中心に吹き出しつきで、見事にまとめてあった。
 感激して、登志子はミニアルバムを胸に抱くと、輝くような笑顔で二人を見つめた。
「すごいなぁ。 卒業アルバムよりよくできてて、おしゃれ! わざわざ私のために作ってくれたの?」
 二人はまた顔を見合わせ、照れくさそうに笑った。
「実は自分たちのためでもあって。 残しておきたかったんです、先輩の勇姿を」
「美しいお姿を」
 山賀がこそっと付け足して、顔を赤らめた。
「じゃ、何部か作った?」
「十部。 きっとプレミアつくと思う」
「えー? それはどうかな……。 ともかく、本当にありがとう。 大事にします」
 そのとき、ホームの向かいに反対方向へ戻る電車が入ってきた。 二人は照れくさい行事を終えてホッとして、ぺこっと登志子に頭を下げて、その電車に乗った。
 登志子はにこにこして、立ったまま男子たちを見送った。 ベルが鳴ってドアが閉まりかけたとき、男子の一人がいきなりガラスに飛びついた。
 彼は必死な顔をして、両手を鋭く右に振っていた。 声は届かないが、大きく開いた口で、よけて! と叫んでいるように見えて、登志子は反射的に右へ踏み出した。
 ほぼ同時に、左肩に何かが当たった。 硬めのドッジボールを思い切りぶち当てられた感覚で、登志子は耐え切れずによろめき、膝を曲げたまま半回転した。
 線路に落ちなかったのは、ひとえに鍛えた足腰のおかげだった。 ホーム端の白線を大きく踏み越した足を全力で引き戻したそのとき、新しく入ってきた車両が風を巻き起こしながら前を通り過ぎた。







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