表紙

羽衣の夢   87 大女優の影


 登志子は固まった。
 急に探偵が現われたことと、麻耶が名前を教えたことに、関係があるのだろうか。
「それ、いつのこと?」
 問い返した声に危機感を感じたのか、麻耶はたじろいだ。
「一週間ぐらい前だけど」
「その芸能界の人って、誰?」
「何かあったの?」
 今度は困った様子になった。 影響があったらしいと慌てているようだ。
 登志子は息を整え、穏やかに答えた。
「そういうことじゃなくて、私目立つの好きじゃないから」
「ああ、そうよね、昔からそうだったもの」
 ややほっとした麻耶は、すぐ教えてくれた。
「檜山〔ひやま〕さんって人よ。 マネージャーなの、加納嘉子〔かのう よしこ〕の」
 加納嘉子、と登志子が呟くと、吉彦と晴子が同時に反応した。 加寿も驚いたように目をぱちぱちさせた。
 ただ気まぐれで訊いただけよね、と麻耶を安心させた後、五分ほど雑談してから、登志子は電話を切った。
 とたんに晴子が膝を乗り出した。
「加納嘉子って、あの有名な?」
 その人がじっと自分を見つめていたことを思い出しながら、登志子はぼんやり答えた。
「そう。 美浦さんと会ったお店に、後から入ってきたの」
「美浦さんって、タレントの夏海マヤだろう? 確か休みの前に会ったんだよな?」
 深見の家族にほとんど秘密はない。 父の吉彦も、娘が昔の学校友達に誘われて会いに行った話は知っていた。
「加納嘉子のマネージャーが、一週間前に私の名前を聞きに来たんですって」
 とたんに茶の間の中に、火花のような緊張が飛んだ。
「時期が合うなぁ」
 父の呟きに、それまで兄と少年雑誌を仲良く眺めていた滋が顔を上げた。
「時期って何の?」
 彼は勘が鋭い。 男の子たちが部屋にいることを忘れていた吉彦は、はっとして息を吸った。
「春は芸能界のスカウトが多いんだよ」
「スカウトって?」
 今度は好奇心の発達する年頃にある友也が訊いた。 すると、父の替わりに長男の弘樹が応じた。
「テレビや映画に出ませんか? って言ってくるヤツ」
「弘樹兄ちゃんにも言ってきた?」
 弘樹はブハッと吹き出した。
「来る訳ないだろー」
 不思議そうに、友也は姉と長兄の顔を見比べた。
「どーして? お姉ちゃんに来るのに、なんで弘樹兄ちゃんに来ないの? かっこいいのに」
 弘樹は滋にはけむたがられているが、末っ子の友也には英雄なのだ。 照れたような、嬉しそうな弘樹の顔を見て、残りの家族は一斉ににやにやした。


 なごやかな一幕で滋もなんとなく納得し、それ以上具合の悪い質問をすることはなかった。
 家族仲がいいのは嬉しいことだが、内緒話がしにくいのだけは困る。 大人たちはそこで話を切り上げ、後でゆっくり対策を語り合うことにした。








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