表紙

羽衣の夢   86 意外な電話


 今のところ、手がかりは電話番号だけだ。
 吉彦が出勤した後、加寿は晴子と話しているうちに思いついて、番号間違いを装って、その番号にかけてみることにした。


 五回呼び出し音が鳴った後、タバコ焼けした男の声が聞こえてきた。
「はい?」
 ただそれだけで、名前も名乗らない。 加寿は気後れをこらえて、できるだけ普通に挨拶した。
「ああ、熊川さん? 私よ〜」
 とたんに男の口調が冷たくなった。
「ちがいますよ、うちは」
 加寿はあくまでも白を切って、ぼんやりと尋ねた。
「えー? 熊川さんでしょ? だって声が……」
「ちがうんだったら。 俺は浦田〔うらた〕。 ちゃんと番号確かめなさいよ」
 ガチャン。
 乱暴に切れた受話器を耳から放して、加寿は不愉快な表情になった。
「思いっきり力入れて切ったわよ。 行儀の悪い人だねぇ」
 そこで口元がにんまりした。
「聞いた?」
 受話器に横から耳をつけていた晴子も、笑顔でうなずいた。
「聞いた。 ウラタって言ってたわよね?」
「そうそう」
 二人はさっそく、会社にいる吉彦に成果を知らせた。 吉彦はすぐ乗ってきた。
「うまくやったね。 会社には関東圏すべての電話帳があるから、こっちでもさっき番号を調べたところなんだ。 荒川区だったよ」
「で、ウラタっていう人の家?」
「いや、英迅〔えいじん〕総合事務所という名前の有限会社だ。 探偵と警備を兼ねているのかもな」
 加寿と静子は、ちょっとがっかりして顔を見合わせた。 ウラタ本人が探しているなら、すぐ手がかりを掴めるかもしれないが、やはり誰かに依頼されて仕事をしている探偵らしい。 それなら問い合わせても口が固く、秘密厳守のはずだ。


 当面、はっきりしたことは二つだった。
 登志子を探りに来たのは、あまり品のよくない探偵らしいこと、そして依頼人は、人探しに金を使える人間だということだ。
「探偵料金は結構高いんだ。 五十万や百万、軽く飛ぶって。
 帰りに車で近所を通ってみたんだが、雑居ビルのようだった。 ちゃんとした建物で、あれなら事務所の賃貸料は安くないだろう」
 中高生の小遣いが二、三千円から多くて五千円ぐらいだった時代、百万は相当な大金だった。
 帰宅した吉彦の言葉に、晴子たちが考え込んでいると、不意に階段の踊り場から弘樹が顔を突き出して、ひょうきんに尋ねた。
「ねえ、なに内緒話してんの?」
 ぎょっとなった大人三人は、笑顔でごまかしながら急いで茶の間に入った。


 その晩の八時半過ぎ、登志子に電話がかかった。
 ちょうど食事を終えたところだった一家は、電話のベルで一斉に振り向いた。 隠しても、大人たちの緊張が男の子たちにも反映しているらしく、いつもの騒がしさが消えて妙に静かな食卓だった。
 登志子がすぐ立ち上がって、電話に出た。
「はい、深見です」
 すぐに聞き覚えのある声が言った。
「深見さん? 私。 美浦麻耶でーす」
 ああ、よかった。
 力が抜けて、登志子は笑顔になった。
「美浦さん? お元気?」
「はい、まあまあね。 あの、もしかして、悪いことしちゃったかなって思って、電話したんだけど」
 緊張が戻ってきた。 登志子は目をしばたたき、受話器を握り直した。
「なにを?」
「ほら、前に二人でスカウトされかかったこと、あったでしょ? あのとき、私は受けたけど、深見さんきっぱり断ってたじゃない?」
「ええ、覚えてる」
「なのに私さ、芸能界の人に、あの綺麗なお友達は誰? って訊かれて、うれしくなって名前教えちゃったの。 考えてみたら、深見さん迷惑よね」








表紙 目次前頁次頁
背景:kigen

Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送