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羽衣の夢   85 怪しい思惑


 ゴールデンウィークが終わった週日の朝、まだ残っているはずの疲れを吹き飛ばす勢いで、加寿は珍しく洋服の外出着をまとって家を出た。
 晴子もついていこうとしたが、加寿が断った。
「二人で行ったんじゃ、ものものしすぎる。 いつも行ってる私が、さりげなく様子を聞いてくるわ。 できるだけ早く帰るから」


 残った晴子は、溜まった家事をせっせと片付けることで、不安をまぎらせた。
 言い残したように、加寿は昼前にちゃんと戻ってきた。 だが額の雲は晴れず、いつもより神経質になっていた。
「やっぱり怪しい」
「そうなの?」
「うん。 登志子のこと、今いくつ? とか、ここで育ったんですか? とか、根掘り葉掘り訊いたらしいのよ。 でもね、あの子の名前は知ってるのに、どこに住んでるかは知らないようだったって。
 それで、変だと思った宍戸〔ししど〕さんが、なぜそんなこと訊くんですか、と尋ねたら、登志子ちゃんを見そめた男性が息子の嫁にと思って、って、こうなのよ」
「急ごしらえの言い訳よね」
「他に説明思いつかなかったんでしょう」
 二人は不愉快そうに目を見合わせた。
「その男、どんな見かけだったって?」
「三十代初めぐらいの年頃で、目付きが鋭くて、妙になれなれしかったらしいわ」
「登志子に似てた?」
 加寿は力を入れて首を振った。
「ぜんぜん似てないって。 ダンゴ鼻で顔は四角かったそうよ」
「やっぱり探偵かな……。 名刺を残していった?」
「名刺じゃないけど、後でわかったことがあったら、ここに知らせてくださいって、電話番号を置いてったの。 教えてくれたら謝礼を払うから、とも言ったらしいわ。
 ほら、その番号、写してきたわよ。 これ」


 宍戸夫人が気をきかせてくれたおかげで、謎の男に登志子の住処〔すみか〕は知られないですんだ。
 しかも彼女は、さっそく近所を回って、男の評判を広めてくれたらしい。 古くからの住民で、深見一家の秘密を知っている人たちは、ぶしつけな男の訪問を警戒して、みんな『口にチャック』すると申し合わせたそうだ。
「宍戸の佐紀子〔さきこ〕さんは信用できるの。 でも子供達まではね。 悪気がなくて、うっかり口を滑らせるってことも」
 早めに仕事を切り上げて戻ってきた吉彦に、晴子は不安を洩らした。
 吉彦は、会社にいる間に調査の背景を考えめぐらせたようだった。
「誰が調べさせているにしても、徹底的にあの子を守る。 どうも嫌な予感がするんだよ。 裏に何か事情があるんじゃないかと。
 その男、実の親に雇われているんじゃなく、むしろ騙そうとする側なのかもしれないぞ」
 晴子の顔から、さっと血の気が引いた。
「えっ?」
 思わず、悲鳴のような声を立ててしまった。 二人は台所の片隅で、家族に聞こえないようにひそひそ話をしていた。
「しっ。 静かに」
「ごめんなさい」
「戦争直後によく出てただろう。 行方不明になった我が子を探してください、という広告が。 中には高い懸賞金つきのもあった」
「ええ、覚えてる。 毎日目を通してたから」
 登志子を探している親がいるのではないかと、あの頃の晴子は新聞やラジオを欠かさず確かめていた。 もしそれらしい広告があったらどうしようと、怖くてしかたがなかったのだ。
「十八年が経っても、親は諦められないだろう。 そこへ登志子を持ち出して、お宅のお嬢さんが見つかりましたと言ったら?
 あの子の血液型は、ごく普通のOプラスだ。 適合する家庭は多いだろう。 うちだって合ってる。 僕がOで君がAだから。
 おまけにあの美しさと頭のよさ、気立てのよさだ。 一つか二つ条件が合えば、自分の子だと言い出す親がいるに決まってる」
 晴子は必死になった。
「でも、あの子の着ていた服やトランクを残してるわ。 あれが合わないと……」
「誰かに着替えさせられたとか、そこらへんにあったものを使ったとか、いくらでも言い訳できる。 あの大変な状況だったんだから」
「いやだ。 そんなことになったら、どうしたらいいの?」
 涙ぐんでしがみついてくる妻を、吉彦は固く抱きしめた。








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