表紙

羽衣の夢   83 嫌な知らせ


 このあわただしい待ち合わせのことは、奇妙な記憶としてしばらく登志子の胸に残っていた。
 それでも、間もなくやってきた連休の楽しさで、とまどいの印象は徐々に薄れ、爽やかな奥多摩の景色の中に消えていった。
 静かな山間に吉彦の友人の実家があって、親が亡くなった後は別荘として使われている建物に、一家そろって招待されたのだ。 清流でのイワナ釣りや沢蟹採り、緑の美しい山々へのハイキングなど、行動派の深見家にとって愉快な予定が一杯で、その年は五日続いた連休は、めまぐるしく過ぎた。


 うっすら日焼けし、満足感といささかの疲れを携えて戻ってきた登志子は、ポストから溢れそうになった郵便物の中に祥一郎の手紙を見つけて、笑顔になった。
 すぐ大事にポケットへしまいこんでから、持ち帰った荷物の整理をし、親たちが気を利かせて買った駅弁を皆で食べた。 家に戻ってすぐ夕食の支度では大変だという吉彦の配慮だった。
 チビの友也は、帰りの車内でもうこっくりこっくりしていて、家に入ると間もなく座布団に丸くなって寝てしまった。
 だが、残りの男子二人は興奮がさめやらず、食事中も父たちと釣った魚の数を比べたり、招待主の山原〔やまはら〕氏がくれた珍しい花火を、暗くなったらすぐやってみたいと話し合ったりしていた。


 食事が終わって後片付けが済むと、登志子はようやく一人になれた。 部屋に入って、さっき引き出しに入れた祥一郎の手紙を出し、きちんと椅子に腰掛けて読む。 いつもの習慣だった。
 しかし、その日の手紙はいつもと様子が違っていた。 便箋を開くといきなり、登志子自身に関係のある出来事が書かれていた。


『 昨日、気になることがあったので、知らせます。
 タバコ屋の宍戸〔ししど〕さんのところに中年の男性が来て、登志子ちゃんについて尋ねたそうです。 世間話のようにさりげなく、でもわりとしつっこく訊いていたらしい。
 変だと思った宍戸のおばさんが適当にごまかして、よく知らないと言ってくれたようなので、心配はいらないと思うけど、そっちにも行くかもしれないから注意して』


 なんだろう。
 登志子は手紙を持ち直し、もう一度注意深く読んだ。
 これが祥一郎の書いてきた通り、気になることなのは間違いなかった。 もう五年以上、登志子は下町に行っていない。 問い合わせをしたいなら、まず阿佐ヶ谷へ来るはずなのだ。
 いや、もしかすると、こっちにも来ているかもしれない。
 そう思ったとたん、背中が寒くなった。 ご近所の奥さんに訊いてみたほうがいいかもしれない。 誰かが自分のことを、調べに来ていないかどうか。
 これが万一、実の親の調査だったら……。
 戦後十八年も経っているのに、そんなことがあるだろうか。
 どこか違う、と、登志子の直感が叫んでいた。 親ならこんな尋ね方はしないだろう。 空襲で別れ別れになった子供を捜している、と正直に頼み込むはずなのだ。








表紙 目次前頁次頁
背景:kigen

Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送