表紙

羽衣の夢   81 友と会いに


 新宿にあるQBBテレビ本社の近くに、ちょっと社内を抜け出してくつろぎたいタレントがよく行く喫茶店があった。
 『アクア』というその店は、水という名前にふさわしく、壁の一面が端から端まで水槽になっていて、三つに分かれた区切りの中に、様々な熱帯魚が優雅に泳いでいた。
 紺と白のワンピース姿の登志子が、ガラスのドアを開いて中に足を踏み入れると、すぐに右奥のテーブルから立ち上がった麻耶が、ひらひらと手を振った。 すっきりと化粧をほどこした顔が、本心からの笑いにあふれて、無邪気なほどあけっぴろげに見えた。
「深見さん、こっちこっち!」
 登志子も笑顔で手を小さく振り返した。 店は半分ほど人で埋まっていて、傍を軽やかに通り過ぎる登志子から目を離せなくなる客も何人かいた。
 登志子は麻耶しか見ていなかった。 ずいぶん大人びた雰囲気になっている。 もともとセンスがよくて人目を引く娘だったが、人気者になってファンに取り囲まれる毎日で自信がついたのだろう。 一人で座っていても華やかで、世慣れた感じがした。
「こんにちは」
と登志子が挨拶すると、麻耶は丸テーブルに四脚置かれた中で、近くの椅子を急いで引き寄せ、登志子を招いた。
「わぁ深見さん、いっそう綺麗になった。 どこまで行っちゃうのかな〜。 女神級まで?」
「それは止めない? 友達同士で持ち上げっこしたってしょうがないし」
 そこで登志子はニッと微笑んだ。
「でも美浦さんは素敵」
「あ、本当だ」
 麻耶は口をとがらせ、後悔したように言った。
「女友達がつるんで褒め合いしても、虚しいわね」
 そこでくすくす笑って、久しぶりの対面の緊張が解けた。


 アイスクリーム・パフェをストローで混ぜながら、麻耶はぽつりぽつりと語り出した。
「勝手に呼び出してごめんね。 ご両親がいやがると思って、なかなか電話かけられなかったの。 でも昨日は、無性に深見さんに会いたくなって」
「何か嫌なことあった?」
「うーん、あるっていえばあるし、いろんなことの積み重ねかな。 タレントになる前の私に、ちょっとの間だけ戻りたくなったの」
 くっきりと輪郭を取って、さくらんぼの色を重ねた唇を、麻耶はすねたように噛みしめた。
「私の一番いい思い出の人に会って、連れ戻してほしくなった」
 それから、神秘的な眼差しでじっと登志子の表情を探った。
「だけど深見さんも、もう明るくて頼もしいだけの人じゃなくなったんだね〜。 なんかちょっと、寂しげに見える」
 登志子は思わず身を引いた。 顔が青ざめたかもしれないと不安になったが、そこへちょうど注文したチョコパフェが届いたので、笑顔で受け取って気をそらした。
「そう? 自分じゃわからないけど、青春の悩みというものかな?」
「深見さんて、いつも人に頼られる立場でしょ? 辛いときはどうしてるの? 家族に話す?」
 いつもはそうだった。 しかし、自分という存在が、いきなり川に浮かんだトランクから始まったと知ったときから、水面に浮かぶ根無し草のように揺れている気がする瞬間があるのを、どうして親に話せるだろう。
「たいていはね。 でも言えないこともあるわ、たまには」
「さては恋の悩みとか?」
「ちがいます」
 迷いなく言えた。 恋なんかしてない。
「私のことはもういいから、美浦さんは?」
「そうそう、それなのよ」
 ストローを伸ばして一口飲んでから、麻耶は目を輝かせた。
「美浦さん、って呼んでくれるでしょ? それだけで気持ちいいの。 そんなに好きな苗字じゃないけど、私自身の名前だもの」
 登志子のパフェに視線を移して、麻耶は陽気な口調になった。
「そっち注文したくても、歯が黒くなるんじゃないかっていちいち考えるの、面倒くさいよ〜」
「ファンががっかりするから?」
「ゴシップ誌に出るから。 海苔弁当なんか食べてみなさいよ、写真取られちゃうかも」
 二人は声を合わせて笑った。
 そのとき、背後が微妙にざわめいた。 まず麻耶が目を上げ、ついで登志子も上半身を曲げて背後を見た。
 そこでは、今入ってきたばかりの男女が数人固まって、左奥のテーブルに向かうところだった。
 二人の男性が囲むようにしている人は、若くはなかったが独特の光を放っていた。 背丈は並みより高い。 シフォンのスカートから伸びた長い脚が、優雅な交差を描いて通り抜けていった。
 店中の視線が、その一団にそそがれている。 しんとなった中、登志子はごく小声で、彼女の動きを目で追っている麻耶に囁いた。
「豪華な人ね」
 まさにそういう感じだった。 すると麻耶は目を見開いて、大きくぱちぱちさせた。
「誰だか知らない? 加納嘉子〔かのう よしこ〕よ。 あの大女優の」








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