表紙

羽衣の夢   79 家庭内修業


 その手紙には、真実がわかった後の余波はすっかり収まったことと、弟たちにはまだ知らせていないのでこれまで通りよろしく、と書き、学校生活の話を少し入れて、片隅にお辞儀している仔猫を描いた。 最近、組で署名代わりに小さなイラストを描くのが流行していて、登志子も自分用にパキと名づけた猫の絵を考案し、ノートや教科書の裏などにチョコッとつけていた。
 封筒の裏には、住所や名前は書かなかった。 祥一郎の家は工場の敷地内にあり、届いた手紙は家族だけでなく従業員たちの目にも触れる。 女から手紙が来た! などというからかいに、祥一郎をさらしたくなかった。


 三日後に祥一郎からの返事が来た。 滋が祖母と共に訪れても決して秘密をもらすようなことはない、と誓った後、身近にあった面白い話を書いて、最後に便箋の半分を使って、巨大なワニの絵を描いてきた。 戯画化された頭でっかちなワニは、しっかり閉じた口をぐるぐる巻きにされて、端は蝶結びになっていた。


 それから、一ヶ月か一ヶ月半に一度の割合で、手紙のやりとりが続いた。
 内容は、特に決まっていなかった。 安くておいしい店、部活やバイト、親との口喧嘩などの日常に混じって、戦後処理や安保闘争などの政治的話題が出たり、お互いの趣味が少しずつわかったりした。
 祥一郎は学業とバイトの忙しい毎日をやりくりして、好きな山登りをする費用と時間をこつこつと貯めているという。
 それを知った登志子は、特に目標のない自分の日々がやましく感じられるようになり、習い事をすることにした。
 ただし、授業料をかけて他所に通うのではなく、同じ家の中にいる母と祖母から知識を授かろうというのだ。 母は和裁の専門家だし、祖母の料理は下町でも有名なうまさだから、教わったら貴重な技が身につくはずだった。
 これまでも折にふれて、いろいろなことを躾〔しつけ〕として教えてもらった。 だがそれは基本的な生活態度が主で、詳しくはなかった。 下の子がすべて男子なので、家事を手伝わせると登志子ひとりの負担が大きくなりすぎる、と祖母たちは思っているようだった。
 その気持ちはありがたい。 だが、手伝いを押し付けられるのと、自分からやる気になるのとでは、意欲が違う。 登志子は一種の修業のつもりで、二人に切り出してみた。
 すると二人は喜んだ。 祖母の加寿などは目頭を押さえるほどだった。
 登志子は無意識に願っていたのかもしれない。 血はつながっていなくても、二人のすべてをわが身に取り込んで、実の娘と同じ存在になろうと。


 穏やかな日々の積み重なりの中、登志子の料理ノートと縫い方見本は着実に増えていき、本棚の一角を占領した。
 運針が格段にうまくなったため、家庭科の授業で先生を驚かせるほど縫い目が美しくなり、宿題を親に手伝ってもらったのではないかと疑われ、くけ台をその場でセットして縫ってみせたこともあった。
 世の中は急速に和服から洋服へと転換していたものの、まだ下駄屋が町なかにあったし、正装は和服が主流だった。
 高三になった登志子は、がんばって腕を上げたごほうびとしてちりめんの反物を買ってもらい、三歳用の七五三の衣装を縫う許可を貰った。 生地が一反あるから、失敗しても作り直せるが、模様を引き立たせる断ち合わせなど難しさが一杯で、登志子は夢中で取り組んだ。








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