表紙

羽衣の夢   78 通い合う物


 その夜、十時過ぎに帰ってきた吉彦は、あわただしく玄関に出てきた晴子に事情を知らされて、真顔になった。
「で、登志子は心配したほどショックは受けてないんだね?」
 そう確認されても、晴子には不安が残っていた。
「あの子は我慢強いから、本音を見せてないかも」
「おいおい」
 靴を脱ぎおわって上に上がると、吉彦は妻を引き寄せて額に額をくっつけた。
「自分の娘を信じられないのか?」
 晴子は虚を突かれ、近すぎてぼやけて見える夫の目を見つめた。
「あの子は僕たちの子だろう? 晴さんと僕の? もし登志子の気が変わって、実の親を探し始めたら、僕らも一緒に探してやろうじゃないか。 僕にはそのくらいの自信がある。 あの子は血のつながりに関係なく、我が家に根付いているんだ。 しっかりとね」


 登志子本人の意向もあり、大人たちは話し合って、下の子にはまだ真実を打ち明けないでおこうということになった。
 弘樹は三人の弟達の中で一番年上だが、たぶん一番こういう微妙な問題には鈍感な性質で、言われなければ何も気づかないだろうと思われた。
 次男の滋のほうが考え深く、いつかは悟ってしまいそうだった。 感づいたら、そのときはそのとき。 彼なら理詰めで話せば理解するはずだ。
 そして末っ子の友也は、まだまったくの甘ったれで、姉を小さい母だと思い込んでいた。 話しても混乱させるだけだろう。


 こうして、深見家を静かに襲った嵐は、急速に消えていった。 後にほとんど余燼〔よじん〕を残さずに。
 ぎこちなさもまったく生じなかった。 登志子は翌日も、その翌日も、普段と少しも変わらない態度で、最初はなんとなく気を遣っていた晴子でさえ、週の後半には意識していたことをすっかり忘れてしまった。





 ただ一つ、登志子の人生で変わった出来事があった。 それは、祥一郎と文通を始めたことだった。
 最初のきっかけは、年賀状。
 真実をこれ以上ないほど適切な話し方で教えてくれた祥一郎に対して、登志子は心からありがたいと思っていた。 その感謝の気持ちを葉書に託して年末に送った後、正月明けの五日頃に返事をくれるかな、と期待していたところ、なんと元日に届けられた分厚い束の中に、彼の賀状も入っていた。
 上手な獅子舞の版画を押したその年賀状には、短い文章が書かれていた。


『謹賀新年  
 加寿おばさんから電話をもらって、元気にしていると聞きました。 僕を怒っていいのに、ありがとうと言われて恐縮です。 下町応援団はみな年頃になって、登志子ちゃんに会いたがっているので、こっちへはしばらく来ないほうが安全だと思います』


 最後で登志子はプッと吹き出し、黒々としっかりした字で書かれた文面を指で撫でた。
 本当に面白い人。 なれなれしくしないし、突き放しもしない。
 祥一郎との快い距離感を思い出すと、このまま黙っていられなくなって、その夜登志子は彼に手紙を書いた。







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