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羽衣の夢   75 もう秘密は


 加寿はいつも早く寝るため、その晩の夕食後に二人きりになることはできず、話す機会は取れなかった。
 それで登志子は、翌日の月曜日、学校が終わって家に帰ると間もなく、祖母を買物に誘った。
「あのね、セーターを買いに行きたいの。 ちょっと早いけどマユちゃんのクリスマス・パーティに着ていくのにね。 お祖母ちゃん手袋片っぽ失くしちゃったって言ってたでしょう? 一緒に買物行きましょうよ?」
 加寿は喜んで承知し、いそいそとウールの着物に着替えた。


 駅近くのデパートで半時間ほど買物を楽しんだ後、二人はロゴのついた紙袋を下げて帰路についた。
 その午後はよく晴れて風もほとんどなく、日だまりではぽかぽかと心地よかった。 それで登志子より加寿のほうが提案して、バスに乗らずに小さな公園を通って歩いて帰ることになった。
 登志子には好都合だった。 二人で出てみたものの、どうやって切り出したらいいか心が定まらず、言い出せないまま家に戻ってしまう予感がしていたのだ。
 まだ強い霜が降りていないため、公園の花壇では冬咲きの菊が満開で、細い花びら一杯に日光を受けてきらめいていた。
 花壇の横にはピーナッツのような形の小さな池があり、縁に落ち葉を浮かせて鏡のように静まり返っていた。
 赤や黄色の花に目をやって池の周りの小道をたどりながら、登志子は気持ちを奮い立たせ、できるだけさりげなく尋ねた。
「私の前に、同じ名前の赤ちゃんが生まれてたんですって?」
 一瞬、ほんの一瞬だが、加寿の答えが遅れた。
「ええ、そうよ。 誰から聞いたの?」
 やはり母は話していない。 みんなお互いに気を遣って、秘密に触れまいとしてきたのだろう。
 登志子の心臓が、祥一郎と語り合っていたときよりずっと大きく、不規則に鼓動しはじめた。
「お母さんから。 神棚におまつりしてるのは誰かって訊いたときに」
「あの子は本当に不運だった。 戦争中に生まれたばっかりに」
 そう言って加寿が吸い込んだ息は、ふるえるような音を立てた。
 登志子は必死で勇気を奮い起こした。 祖母や母が言い出せないなら、私が言葉にするしかない。
「でもお母さんが教えてくれたのは、そこまでだった。 私を拾って育ててくれたとは、言えなかったのね」


 そのまま二人は、歩調を変えずに歩きつづけた。
 だが、しばらく声は途絶えていた。 加寿は何も聞こえなかったかのように、規則正しく足を運んでいたが、公園の出口を示す木の杭が目に入ったとき、いきなり立ち止まった。
 離れたところで子供たちが遊んでいて、歓声が遠くから聞こえた。 近くには誰もいない。 隔絶された空間の中で、加寿の口調がはっきりと乱れた。
「ひどい教えられ方をした? ああ、私達なんて馬鹿だったんだろう。 言いたくなくて、ずるずる引き延ばしているうちに、他の誰かに告げ口されてしまうなんて」
「告げ口なんてされてない」
 登志子は加寿の前に回りこむと、祖母の奮える手を取った。
「私が訊いたの。 何か不思議なことがあると、前からなんとなく感じてた。 お祖母ちゃんとお父さんの会話とか、みんなが神棚に祈る様子とか。
 だから昨日、事情を知ってる人に話してほしいと頼んだの。 そしたら、わかってることを全部教えてくれた。 すごくいい話で、私、感激した」
 加寿が激しくまばたきした。 半ば途方に暮れた様子の祖母が愛しくてたまらなくなり、登志子は子供のときのように、ぎゅっと抱きついた。
「ありがとう、お祖母ちゃん。 お母さんもお父さんも、何て言ったらいいかわからないほどありがたいと思ってる。
 昨夜、寝床の中で、どう言って御礼をすればちゃんと伝わるか、一生懸命考えたの。 でも十五分ぐらいでストンと寝ちゃって。 朝までぐぅぐぅ眠ってた。 私って繊細じゃないんだなって、改めてよくわかったわ」
 祖母の手が、紙袋を落として登志子の肩にぐるりと回った。 子供のときと違うのは、もう登志子のほうが身長で追い越して、加寿が上向きになっていることだけだった。
 しなやかな背中をぽんぽんと手のひらで叩き、さすりながら、加寿は子守唄のように囁いた。
「あんたはいい子。 本当にいい子。 天からの大切な授かりものよ」







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