表紙

羽衣の夢   73 今も応援団


「おまえ、ズボンも駄目にしちまっただろう」
 兄に指摘された結二は、情けなさそうにポケット口を広げて中を覗いた。
「……うん」
 薄情にも、祥一郎は低く笑い出した。
「下まで青くならないうちに、早く帰れ」
「十三歳の蒙古斑〔もうこはん〕って?」
 困っても、結二はひょうきんなことを言う。 登志子までその軽口につられて、にこにこ顔になった。
 彼女の笑顔を見て安心したのだろう。 結二もニッと笑い、次の電車が入って来るのを認めてホームを横切りながら、明るく挨拶した。
「じゃね登志子ちゃん。 また会おうね」


 祥一郎と二人で残されても、登志子は気まずくならなかった。 むしろ、これまで見えない形で存在した垣根が取り除かれたような気がして、素直な目で彼を見上げた。
「よかった、話してくれて」
 祥一郎は短く息を吸い、謎めいた表情で見返した。
「大事にされてるの、わかった?」
「よくわかった」
 ゆっくりと噛みしめるように、登志子は言った。
「ほんとの親は、きっと死んだのね」
「そうだな。 生きてたら、絶対に探したと思う。 かわいがられてたようだから。
 すごく綺麗な着物を着てたんだってさ。 ばっちゃんたちが見せてもらったんだ。 上等な白い絹で、綿入れになってて、襟に白糸で細かい刺繍が入ってたって。 あんな豪華な赤ちゃん服見たことがないって、感心してたよ」
 その服は、まだ家にあるのだろうか。
 できたら頼んで、私にも見せてもらおう、と登志子は思った。 深見家の実子ではなかったという傷みは、まだかすかに胸の奥でうずいていたが、これまでで一番、家に帰りたい気持ちが強かった。 まぎれもない自分の家、みんなが愛して守ってくれる、私の家に。


 三人で話している間に太陽は容赦なく沈み、空は菫色から藍色へと変わりつつあった。
 暗くなったからと、祥一郎はわざわざ駅を下りて、バスで家まで送ってくれた。
 登志子は彼を誘って入ろうとしたが、祥一郎は断った。
「無事に着けば、役目は終わった。 口がすべって勝手にしゃべっちゃったこと、おばさんたちに謝っといて」
 登志子は大きく首を振った。
「ううん、謝ることなんてない。 ありがとう。 私を大人あつかいしてくれて」
「登志ちゃんはもう、ほぼ大人だよ」
 そう言うと、祥一郎は白い歯を見せた。
「キザだけど、これだけは言いたい。 幸せになってな」
 登志子の唇が小さく震えた。
「はい。 今も幸せだけど」
 そして、さっと手を伸ばした。 どうしても握手したかった。
 祥一郎は、指が長くほっそりした手を、そっと握った。
「じゃ、もう真っ暗だから、おやすみ、かな」
「おやすみなさい」
「元気で」
「祥ちゃんも。 あ、それと結ちゃんも」
 くぐもった笑い声が聞こえた。
「あいつ、あいかわらずおっちょこちょいのままでさ」
「みんな大好きよ、下町の人たち。 登志子が感謝してましたって、伝えてくれる?」
 祥一郎はうなずき、握手したままだった手をポンと叩いて離すと、すぐ向きを変えて戻っていった。







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