表紙

羽衣の夢   69 複雑な男心


 お汁粉は小豆がたくさん入っていて、なかなかおいしかった。 一方、ブルマンとかキリとか通ぶったお品書きが並んでいるコーヒー店のほうは、本当にスプーンが立つんじゃないかと思えるほど濃く、祥一郎が飲み終わった後も、カップの底に黒いおりが残っていた。
 その後、小講堂でにぎやかなジャズ演奏を聴き、二、三展示物を見てふたたび校舎の外に出てくると、空はだいぶ赤みを増して、空気が冷たくなってきていた。
 赤い革バンドの腕時計を見た登志子が、きっぱりと言った。
「四時になったわ。 もう帰らなきゃ」
 孝治には思いがけない言葉だったらしい。 口を尖らせ、やっきになって引き止めようとした。
「え? そりゃないよ。 これから面白くなるんだぜ。 あっちの校庭で火燃やして、歌ったり踊ったりするんだから」
「暗くなる前に帰るって、両親と約束してるの」
 登志子は引かなかった。 来月はもう師走というこの時期だから、四時半頃には日が沈む。 そうなると急激に暗くなって、家族を心配させることになるのだ。
 すると孝治は作戦を変えた。
「門限が六時前? へえ、小学生みたいだな。 子供扱いされて悔しくない?」
 そうからかわれても、登志子は平気だった。
 夜の暗さには原初的な魔力がある。 昔は、夜っぴいて行なわれる村祭りで若い男女が意気投合し、森や納屋で体を重ねたという。
 登志子はそういう雰囲気になじめなかった。 別に潔癖というわけではない。 ただ、自分を見失うような何か、たとえば酒や情熱などに溺れるのが、ひどく嫌だった。
「別に。 今まででとても楽しかったし。 孝ちゃん、招待してくれてありがとう」
「いや…… 来てもらって嬉しかったよ」
 孝治の語尾がぐずぐずになった。 それまで無言でいた祥一郎が、さりげなく言った。
「じゃ俺も帰るから、送ってくわ。 おまえは?」
 やられた、という表情になって、孝治は校庭を振り返り、決断できずにもじもじした。
「えーと、部の連中が待ってるんで」
「だよな。 大いに暴れてこいよ」
 孝治は渋い笑顔を見せ、それじゃ、と登志子に小さく手を上げて挨拶した後、人込みに紛れていった。


 とたんに、登志子の肩から余分な強ばりがほぐれた。
 誰とでもなごやかに話ができると思われている登志子だが、実は違う。 年頃の男子といるときは、いつも気を遣っていた。
 学校の友達で兄が三人いる女子によると、男の子というのは思いがけず繊細で、女子の視線ひとつに鋭く反応するのだという。 正面からのまっすぐな視線には友情か無関心を見て取るだけだが、うっかり視線をそらしたりすると、これは自分に関心ありだ、と感じてしまうらしいのだ。
 ましてや、目が合ったとき、緊張をほぐそうとしてニッコリするのは論外。 誘惑してると思われるのがオチだそうだ。
 ややっこしい。
 男子の気を引こうとしたことのない登志子は、誤解させて後で失礼なことにならないよう、鏡の前で目線の研究をしたほどだった。
 だが、祥一郎といるときだけは違った。 彼といると緊張しない。 自分の行為をまちがって受け取られるのではないかと心配する必要もない。 何よりも気楽で楽しかった。







表紙 目次前頁次頁
背景:kigen

Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送