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羽衣の夢   59 思い出して


 晴子は覚悟を決め、頭の中で前に吉彦と話し合って作った筋書きを思い起こしながら、イグサの座布団に座った。
「この中に祀ってあるのはね、赤ちゃんなの。 生まれて間もなく、天国に行ってしまった女の子」
 注意して見ていれば、登志子の顔に思ったほど衝撃が浮かばなかったのがわかっただろう。 しかし晴子は、愛らしかった実の子の姿を思い出すだけで胸が詰まりそうになり、目を伏せていたため、娘の表情が見えなかった。
「だからあなたが女の子だとわかったとき、神様がまた授けてくださったんだと思った。 それで名前を同じにしたの。 登る志の子、登志子って」
 微妙な言い回しだった。 嘘とは言い切れないが、うまく誤解させるような話し方だ。
 現に登志子も、晴子の言葉の隙間を自分なりに埋めて、静かに立ち上がると神棚に手を合わせた。
「じゃあ、私のお姉さんだったのね」
 晴子の呼吸が不規則になった。 しかたがない、この子を実子として届けているんだし、と自分に言い聞かせたが、胸の痛みは消えなかった。


 翌日、弘樹は普段と変わらず元気に起きだしてきて、午前中いっぱい、滋が夏休みの工作に選んだ水族館の模型作りを手助けしてやっていた。
 これまで年上らしいことは登志子に任せて、友達との遊びに全力投球していた弘樹だったが、昨日の小事件で不意に兄貴らしさに目覚めたらしい。
 やんちゃな弘樹にいつも振り回されて、渋い顔をすることが多い滋も、兄の手先が器用で、接着剤やハンダ鏝の扱いがうまいのを知ると、新たな尊敬の眼差しで見るようになった。
 登志子は、夏休みの課題パンフレットを解きながら、仲良く頭を寄せ合っている弟たちに時々目をやった。 女の子が一人なので、中学に入ったときから専用の勉強部屋を貰っている。 でも本や服の置き場になっているだけで、めったに使っていない。 いくつになっても茶の間で、家族のざわめきの中でノートを広げるのが好きだった。
 登志子が数学Tをやっている横で、弘樹と滋が木枠に色セロファンを張ろうとしている。 鋏は? とか、肥後の守〔ひごのかみ:切り出し用小刀〕がどっか行っちゃった! とか、彼らが騒ぐたびに、登志子が引き出しから出してやった。
 それでも彼女がまったく動じずに、次々と問題を解いていくのを見て、短い夏休暇を取っていた吉彦が、西瓜を切りながら声をかけた。
「集中力があるね、登志子。 こんなに気の散るところで悠々と勉強できるなんて度胸がいい。 大学受験がないのが残念なくらいだな」
 その言葉で、登志子はふと思い出した。
「ね、お父さん、昨日の帰りの電車で、中倉の祥一郎くん見かけた。 祥ちゃん確か高三だと思ったから、もうじき受験なんだわ」
「電車? 一緒に乗ってたのか?」
「ちがう。 ドアが閉まってからホームの階段上がってきたの。 乗り遅れちゃったのね、きっと」
「ふうん。 しばらく会ってなかったんじゃないか?」
 登志子は思い出そうとした。
「そうね、三年ぐらい」
「それでよくわかったな」
 あんまり変わってなかったから、と答えようとして、登志子はハッとした。 祥一郎はずいぶん変化していた。 背丈がぐんと伸び、顔はいくらか面長になって、きりっと引き締まった、いい表情をしていた。
「見覚えがある気がして、ちょっと見てたらわかったの。 手を振ったら、向こうも振り返してくれた」
 父は口の中でむにゃむにゃと呟いて、半月形に切った西瓜を皿に分けはじめた。
 登志子には、父が「そりゃ振り返すだろう、こんな美人に手振られたら」と言っているように聞こえたが、空耳だろうと思うことにした。







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