表紙

羽衣の夢   54 複雑な家庭


 登志子は、目の前にいる若者に嫌なものを感じた。 子供のころから、そういう勘はだいたい当たる。 両親が心を込めてつけてくれた名前を、初対面の男の子に教えたくなくて、登志子は窓の外へ目をそらし、視線に止まった木に注目した。
「あのサルスベリ、きれいですね」
 振った話題がまずかった。 相手は何でもきっかけにしたかったようで、すかさず部屋に入り込んでくると、わざと体を寄せて窓を覗きこんだ。
「ああ、あれね。 おふくろが好きで、わざわざでっかい苗木買って植えさせたんだ」
 道則〔みちのり〕は高そうな赤のシャツを着ていた。 似合うことは似合っているものの、夏用のコロンか何かつけているらしく、柑橘系の香りが強すぎて、近くに来られるといっそううっとおしかった。
 思わず少し身を遠ざけたところへ、白い盆を持った麻耶が戻ってきた。 そして、窓枠に腰掛けた兄を見つけ、容赦なくしかめっ面をした。
「なによ、出かけたんじゃなかった?」
「ちょっと忘れ物」
「じゃ、早く取ってけば?」
「おい、冷たいな。 そんなに追い出さなくったって」
「冷たいって何よ。 だいたい妹の部屋にずかずか入ってくんなっていうの。 いつもマミーに注意されてんでしょ?」
「おー、こわ」
 降参の印に両手を上げてみせて、道則はにやにやしながらドアから立ち去った。


 麻耶は額に皺をよせたまま、盆を勉強机の上に置き、白い液体の入ったクリスタルのグラスを登志子に渡した。
「ありがとう」
「どういたしまして。 ごめんね道のヤツが勝手に入って」
「ううん」
 あいまいに答えながらも、登志子は麻耶の兄に対する呼び方にショックを受けていた。
 道のヤツという言葉には、尊敬も愛情も感じられなかった。
 自分は茶色のコークを手に取ると、麻耶はベッドに腰をおろし、登志子には昇降式の椅子を勧めた。
「そっちに座って。 クッションがいいから。 あいつね、兄弟といっても父親が違うの。 マミーがぐれてたときの仲間の子でね、父親は今、刑務所に入ってる。 そのほうがいいんだってマミーが言ってた。 シャバにいると息子に悪いことばっか教えるからって」
 登志子は困って、目をしばたたいた。 この家は、外見こそ新しくてきれいだが、中の人間模様は相当ぐちゃぐちゃらしい。
 話の途中で不意に思い立ったらしく、麻耶は立ち上がって、白いドアに内側から掛け金を下ろした。
「こうしといたほうが安全だ。 ごめんね、今日はあいつ、湘南へ車で行く予定だったんだ。 だから深見さんを招待したのに、なんで家に残ってたんだろ。 ほんとに迷惑」
 登志子の目が、ドアに釣り合わないほど大きな掛け金に釘付けになった。
 後からつけたにちがいない。 なんでそこまで用心が必要なのだ。
 驚いたその視線に気付いて、麻耶は一瞬唇を噛んだ後、やむなく打ち明けた。
「道がときどき仲間を連れてくるの。 酔っ払ってたりすると、どこでも開けて入ってくるから」
 高校生の娘がいるのに、その状況は非常にまずい。
 そのくらいのことは、大事に育てられた登志子にもすぐわかった。







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