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羽衣の夢   53 犬と兄弟と


 玄関はクリーム色の壁に真っ白な下駄箱という組み合わせで、明るくおしゃれだった。 ただ、登志子の家と比べれば狭く、玄関ホールは三畳くらいで、左手にすぐ階段がついていた。
「上に私の部屋があるの。 来て」
 麻耶は手早く花柄のスリッパを下ろして、登志子が靴を脱いで揃えるのももどかしそうに階段を指差した。
「お母様にご挨拶できるかな?」
 勝手に入るのは気が引けた。 登志子の問いを聞いて、麻耶は一瞬目を丸くした後、笑いをはじけさせた。
「偉いな、さすがお行儀いい! でもマミーは昼間ほとんどいないのよ。 今日も買物にお出かけ。 靴買うとか言ってたな〜」


 母親の代わりといっては何だが、間もなく別の生き物が二人を歓迎しに廊下を走ってきた。 真っ白でふわふわしたぬいぐるみのような犬だ。 首に巻いたピンクのリボンが愛らしくて、登志子は思わず膝をついて小犬に微笑みかけた。
「かわいい。 何ていう名前?」
「マリリン。 でもみんな略してマリって呼んでる。 マルチーズなの」
「そう。 マリちゃん、初めまして」
 登志子が挨拶すると、低く面白い声で吠えていた犬は、尻尾をちぎれそうに振りながらまず後ずさりし、前足をぐんと伸ばして腰を立てた後、勢いをつけて飛んできた。
 短い脚が空中を掻くように走る。 飛びつかれるかな〜と登志子は身構えた。
 だが膝元寸前でマリは足を止め、ハッハッ息を吐きながら、笑ったような顔で登志子を見上げた。
「よしよし、いい子」
 顎下を登志子が撫でると、小犬ははしゃぎすぎてあお向けに引っくり返った。 見えたお腹は毛が薄く、リボンと同じピンク色をしていて、登志子がそこも撫でてやると、くすぐったいのか体をよじらせた。
「あれれー、すっかりなついちゃって」
 麻耶がすっとんきょうな声を上げた。


 女の子二人が階段を上ると、マリも当然という顔で上ってきて、人間を追い越して突き当たりのドアの前でお座りした。
「ここが私の部屋」
 そう言って麻耶がドアを開けたときも、真っ先にすべりこんだのはマリだった。
 中は広めの洋間だった。 確かに八畳ぐらいありそうだ。 予想したよりすっきりとした室内で、壁にはゲレンデをすべり下りているスキー選手の写真と、文字だけのカレンダーがかかり、開いた窓辺では真っ白なレースのカーテンが、風で時折ゆれていた。
「その写真、季節外れだけど見てると涼しくなるから、かけてるの。
 じゃ、ほんとに涼しくなるもの持ってくるね。 サイダー、カルピス、コークのどれが好き?」
「カルピスお願いします」
 登志子はまじめくさって答えた。


 麻耶が飲み物を取りに下りていく軽い足音が聞こえた。 そのすぐ後、今度はばたばたと上がってくる大きめの音に変わり、ドアが開いた。
 とたんに、シャーベットグリーンのカバーをかけたベッドに飛び上がってくつろいでいたマリが、体を起こして吠えはじめた。
 ドアから顔を出したのは、さっき玄関口で見かけた男の子だった。 襟足はすっきり刈り上げているが、前髪が長くて眼に被りそうだ。 ハンサムだが、どこか油断のできない雰囲気がある。 犬のマリにも好かれていない様子だった。
 彼は窓辺に立つ登志子を見るなり、片手で敬礼の真似事をした。
「よっ、麻耶のやつ、おれのこと言った?」
「いいえ」
 登志子は平静に答えた。 すると十七、八の若者は、口を尖らせて不満を表した。
「あいつ本当に愛想ないんだよな。 俺、麻耶の兄貴。 美浦道則〔みうら みちのり〕」
「こんにちは」
「で、そっちの名は?」
 そっち、というぞんざいな言い方が気になったが、登志子は顔に出さずに答えた。
「深見です」
「深見、何ちゃん? ね、教えてよ」
 だんだんなれなれしくなってくる。 さっぱりした麻耶とはずいぶん印象の違う兄だった。







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