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羽衣の夢   52 新築の家へ


 少しして登志子が横をちらっと見ると、麻耶が取っておきの笑顔でスカウトマンに頭を下げているところだった。 男は登志子にも手を上げて別れの挨拶をし、軽い足取りで表通りへ出て行った。 なんとなく目で追っていると、彼が灰色の自家用車に乗るのが見えた。 車で流してタレント候補を探しているようだ。
「とりあえず面接だけオーケーしちゃった。 気が向いたら行こうっと」
 横に麻耶が来て、陽気に言った。 その軽い声に、登志子は不安になった。
「あの人、本当に大きなプロダクションの社員かな。 名刺だけじゃ身分証明にならないんじゃない?」
 麻耶は眉を上げた。 動揺した様子はまったくない。
「そうよね。 行く前に、矢川プロの事務所に電話してみる。 えーと」
と、名刺を見て、
「為永〔ためなが〕さんっていう社員いますかーって」
 それならいくらか安心だ。 でもやはり、道端で誘いをかける者には注意せよ、と教えられた登志子にしてみれば、心配は残った。
「ご両親に相談したほうがいいかも」
 一瞬の沈黙が訪れた。
 不自然な間の後、麻耶は登志子の背中に触れて向きを変え、ついと曲がって脇道から表通りへ出た。
「あの、ね、言っちゃうね。 私、片っぽの親しかいないの」
 登志子はぎくっとなった。 親を早く亡くしてたのか。 悪いことを言ったと思った。
「あ、ごめんね、嫌なこと言って」
「ううん、嫌じゃないよ。 正式にはいないって意味だから」
 麻耶の言い方は落ち着いていたが、どこかに硬さが感じられた。
「うちのお母さん、いわゆるお妾さんなの」


 今度こそ、登志子は答えに詰まった。
 おめかけ、という言葉の意味は知っていた。 だが普通、愛人とか第二夫人とか言ってごまかすものなのに、そのものずばり口にされると、どう言ったらいいか困ってしまった。
 すると麻耶は、わざと身をかがめて顔を覗きこんできた。 登志子は当惑でまばたきしながらも、柔らかい眼で麻耶を見返した。
 すぐ、麻耶の顔にあけっぴろげな微笑が広がった。
「びっくりした? でも嫌そうじゃないね」
 登志子の眼がまん丸になった。
「どうして私が嫌になるの?」
「いやさ、同級生に不潔だって言われたことあるのよ」
「そういう言い方のほうが嫌」
 登志子は腹が立った。 薄情な大人の悪口を鵜呑みにして、友達を傷つけて何が楽しい。
「まあ私も人と変わってるとこあると思うんだ。 ほら、ブルマー事件とか」
 自分で事件にして、麻耶はけらけら笑った。
「悪いと思わなかったのよ。 これほんと。 お母さん元ダンサーでね、昔の仲間が今でも遊びに来るんだけど、衣装の流行がどんどんハイカットになってくって。 私にも見せてくれたの。 だから脚が長くみえていいなーって」
「ちょうちんブルマーって不便よね。 ひだをきちんと畳んでアイロンかけなきゃならないし、お尻が大きく見えるし」
「うんうん。 男の子たちみたいな半ズボンにしてほしいよねー」
「サブリナパンツとか」
「あれは深見さんみたいに脚スラッとしてる人には似合うけど、普通サイズの日本人が穿くと、それこそお尻がでかくなっちゃって、ギャーッていう感じ。 自分は後ろが見えないからいいけどね」
 オードリー・ヘップバーンが着用して流行した細身の七分丈スラックスに対するしんらつな麻耶の批評に、登志子は笑いをこらえきれなかった。
 すっかり打ち解けた二人は、腕を組んでのんびりと舗道を歩き、次の四つ角で左に曲がって、まもなくしゃれた新築の二階家に着いた。


「ここよ」
 真っ白な壁に赤い屋根の、おとぎ話めいた家には、レンガで囲った一枚板のドアがついていた。 麻耶がふんふーんと小さくハミングしながらそのドアレバーに手をかけたとき、内側から勢いよくはねかえるように開いて、サンダルを突っかけた若者がドッと出てきた。
 麻耶と正面衝突しそうになったため、彼は片足立ちの姿勢のまま固まった。
 その眼が、麻耶の後ろにいた登志子をまばたきもせず見つめた。
「うおっ、イカす〜! 誰?」
 麻耶は面倒くさそうに男の子を押しのけ、振り向いて登志子の手を大事そうに取った。
「私のお姫様。 あっち行って。 さ、深見さんはこっちね」







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