表紙

羽衣の夢   49 懐かしい人


 その夜、布団の中で、登志子は久しぶりに中倉祥一郎のことを思い出していた。
 小学生のうちは祖母の加寿と連れ立って、よく下町へ行った。 だが、中学に入って宿題が増えたあたりから、次第に足が遠のいた。
 代わりに加寿は、次男の滋を二回に一回は連れていくようになった。 落ち着いた性格の滋は、活発な下町っ子とは合わないんじゃないかと思われたが、意外なところに接点があった。
 彼は、盤と名のつくゲームが、とてもうまかったのだ。
 双六〔すごろく〕やダイヤモンド・ゲームから始まって、将棋、チェスにいたるまで何でも好きで、植物が水を吸うようによく覚えた。 だから、戸外で陣取りや自転車の三角乗りはしなくても、気の合った子の家に上がりこんで、祖母が世間話を楽しんでいる間、延々とゲームをしていた。
 ついでにその家のご隠居に碁や将棋の手ほどきを受けて可愛がられ、一緒に記念写真を撮ったりした。 素直で礼儀正しく頭のいい子として、滋もかつての登志子と同じぐらい、下町に溶け込んだ。


 その滋の話によると、祥一郎は今でも子供たちの中心で、男子からは頼られ、女子からは憧れの的になっているらしかった。
「もう高三なんで、去年から夏祭りの係になってるって。 それで、鉢巻して浴衣着て歩いてると、女の子たちがわざと傍を通って、すれちがうときにくっついたり、パッと触って逃げてったりするんだってさ」
 そう言って、潔癖な年頃らしく、滋は嫌そうに顔をしかめた。


 祥ちゃん、高三か〜。
 登志子は四角い格子で区切られた天井を見上げて、背の伸びた祥一郎を想像しようとした。
 彼はもともと秀才で、その上努力もして、都内有数の進学校である日比谷〔ひびや〕高校にめでたく入学していた。 大学まで進むのは、まだ全国学生の一割ほどしかいなかったが、祥一郎ならきっと一流国立大学に現役で受かるだろうと、祖母は言っていた。
「お父さんのブリキ工場がこのところちょっと不景気だから、一時は受験やめて働くって言い出したらしいのよ。 でもお父さんに一喝されてね、これからは町工場も技術と進歩の時代だから、大学できちんと基礎を学んで、これからの経営に生かせって言われたんですって。
 中倉の大将も、息子たちに工場の後継いで盛り立ててほしいのよね」
 夕食時のお茶の間で出たその話を、晴子だけでなく吉彦も注目して聞いていた。


 戦後十五年が過ぎ、吉彦は規模拡大した印刷会社で、実務派の専務となっていた。
 幸い、社内での派閥争いは激しくなく、仕事のやりやすい環境が整っていたが、それだけに仕事量がはんぱでなかった。 次々に新技術が開発される業界にあって、常に勉強も欠かせない。 晴子は、真面目で仕事熱心な夫の過労を、何より心配していた。
「重役出勤なんて、どこの世界の話よねぇ」
 朝、四人分のお弁当を作りながら、晴子は手伝う娘にこぼした。
「お父さん、夜遅いときがあっても、毎朝あんた達と一緒に起きて、八時半には会社に着いてるんだものねぇ」
「満員電車に乗らないですむから、それだけは楽よね。 お迎えが来るから」
 さすがに専務となると、送迎車がつくようになった。 でもまだ自家用車は買っていない。 運転免許を取る時間もなさそうだった。








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