表紙

羽衣の夢   48 初恋はいつ


 中学時代、登志子の春はのんびり過ぎていった。
 ところが高校に進学したとたん、ちょっとした嵐が待っていた。 その第一陣は、様々な部活動から手を変え品を変えた勧誘だった。
 ふつう、高校の部活は大学ほど派手に誘致運動をしないものだ。 しかし、中学の先輩が山ほどいるこの高校では、一年二組に休み時間になると上級生が顔を出し、登志子を狙って声をかけた。
「深見さんさぁ、足速いでしょ? 背も高いし、バスケ部ぴったりよ」
「いや、声がよいから放送部に向いてる。 おいでよ、楽しいよ」
「放送部なんて顔見えないじゃないか。 英語研究会においで。 英語劇にぜひ出てほしいんだ。 盛り上がってお客が増える」
 みんな顔見知りだし、仲がいい人が多い。 登志子は困って、珍しく家でぐちをこぼした。
「なんで私にだけ入れ入れって言ってくるんだろう。 答辞を読んだぐらい大したことないのに、深見さんが部に入ってくれればいい宣伝になるなんて言われても」
 相談された晴子は、答えに詰まって言葉を捜した。 そして、つくづくと一人娘を見直した。
 本当に綺麗になった。 それもただの美人じゃない。 まだ十五なのに、普通ならニキビ真っ盛りでむちむちっとしている年頃なのに、この子は透き通る肌をして、鈴を張ったような目元で、まるで蕗谷虹児〔ふきや こうじ〕の絵から浮き出てきたみたいだ……。
「ね、お母さん。 どう思う?」
 登志子が、黙ったままの母の膝に手をかけて揺すった。 晴子は我に返り、とっさに思いついたことを口にした。
「登志ちゃん誰とでも仲良くできるからじゃない? 自分の好きな部活に入ればいいのよ。 たくさん誘われても、全部に行けるわけじゃないんだから」
「それはそうなんだけど」
 伏し目がちになって、登志子は悩む表情を見せた。 その動作がどきっとするほど女らしかったため、晴子は思わず座り直した。
 登志子が大人になりかけている。
 まだ早い! そう叫びたかった。 はかなく消えた赤ん坊と重ねて、夫と共に愛しつづけてきた登志子は、可愛くてたまらない下の男の子たちと比べても、一種特別な存在だった。 戦後は結婚年齢が遅くなってきているから、まだ七、八年は手元に置いておけると信じていたが、こう魅力的になってしまうと、いつ『王子様』が現われても不思議じゃない。
「ね、登志子?」
「なに?」
 珍しくちゃん付けでなく呼ばれて、登志子は驚いたように目を上げた。
「誰か好きな人、いる?」
 母を見つめる登志子の目が、一回り大きくなった。 それから、後ろに倒れる真似をして、大きく口を開けて笑い出した。
「わーっ、突然なに? いないいない、そんな人」
 嬉しいような、もどかしいような気分になって、晴子は手を伸ばすと、娘を引き寄せた。
「いないのー? いるんじゃない、普通? もう高校生だし」
 登志子は引っ張られるまま、晴子に抱きついた。 そして、まだ笑いながら言った。
「いない。 不思議ね。 特に素敵だと思った人もいないなー。 ただ……」
 声がわずかにためらった。 晴子はすぐ気付き、腕の中で娘を揺すぶった。
「ただ、何?」
「頼りにしてる人なら、いる」
「ああ」
 その子は、晴子にも見当がついた。
「中倉の祥ちゃんでしょう?」
「そう」
 母の肩に顔を埋めたまま、登志子はくぐもった声で答えた。








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