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羽衣の夢   33 なじんだ時


 弟の傍に屈んでいる登志子を見て、祥一郎の駆け足は止まり、普通の歩きになった。
 結二はあわてて竹馬を払いのけて立ち上がった。 汚れた小さな顔が赤くなった。
「兄ちゃん」
「これはだめだって言っただろう? 今おまえ用の作ってやったばっかなんだぞ。 ほら」
 そう言って兄が突き出した小型の竹馬を、結二は目を丸くして見つめた。
「すっげぇ〜。 これ兄ちゃんが作ったの?」
「父ちゃんと二人でな。 乗ってみな」
 わざわざ言われるまでもなく、怪我を忘れて結二はその竹馬にピョンと乗り、誇らしげに試していた。
「どうだ?」
「うんっ! 乗りやすい。 すっごく」
 声がどんどん遠ざかった。
「国康〔くにやす〕に見せてくる!」
「乗って表通りに出るなよ!」
 祥一郎が大声で注意したときには、もう結二の姿は道の向こうに消えていた。


 登志子はとっくに立ち上がり、元気になった結二の背中を見送っていた。 あの子はもう平気だ、とホッとして歩き出そうとしたとき、横から声がかかった。
「あいつ、転んだ?」
 祥一郎から話しかけられたのは初めてだった。 登志子は戸惑いながら答えた。
「ええ、そこで。 膝をちょっとすりむいただけ」
「消毒してただろ」
 会話になったのも初めてだ。 登志子は体を回して、祥一郎を正面から見た。
「うん、ヨーチンでね」
「なんでそんなもの持ち歩いてるんだ?」
「親が心配するの。 下の弟が死にかけたことがあって、怪我したらすぐ消毒しなさいって」
 祥一郎がまばたきした。
「あ……うちの姉ちゃんは死んだ」
 登志子は目を見開いた。
「怪我で?」
「ちがう。 戦争でだから」
 二人はいつの間にか、並んでゆっくり歩いていた。
「大変だったのね」
「学校に火がついて、みんなプールに飛び込んだんだけど、たくさん人が入りすぎて、つぶされて溺れた」
 登志子は言葉もなかった。 戦争末期に生まれた自分は、生き延びられて本当に幸せだったと思った。
 少し黙って歩いた後、祥一郎は吹っ切るように明るい口調になった。
「結二が生まれるとき、母ちゃんぜったい姉ちゃんの生まれ変わりで女の子だって楽しみにしてたんだ。 でも残念賞〜」
「男の子かわいいじゃない? うちは弟二人」
 登志子は胸を張って言った。 弘樹も滋もやんちゃ坊主だが、母の晴子と同じくらいに登志子になついて、仲良しだった。
 祥一郎はフッと笑い、ずはりと言った。
「甘い」
 登志子は少しひるんだ。
「そうかな」
「そうだよ。 五年もしてみろよ、ぶすっとして口もきかなくなってるよ。 モッちゃんとか、みんなそうだぜ」
「じゃ、今のうちにうんと可愛がっておこう」
 てらいなしに、登志子は本心からそう言った。







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